『点滴(輸液)はいつ辞めるべきか?
最後まで続けるべきか?』

腎不全になった猫と暮らす飼い主さんには
必ず訪れる問題だと思う。




うちの場合


3年前の17歳のときにも

腎不全になって回復したので

良くも悪くも

その経験をベースに考えてしまった。



その一度目の腎不全のときは

点滴をすると

すぐに食欲が戻り食べてくれた。


が、2日もせずに

点滴が切れると

身体が震え出したり

とにかく苦しそうになる



点滴なしでは

生きられないような感じだった。



だから

その一度目のときは

週に2、3回のペースで

約1ヶ月半、

点滴を打ち続け回復を遂げた。




そのときに


嫌がる猫を無理やり病院に連れて行き

猫の負担を見ないふりして

自分のエゴで

こんなに

たくさん点滴を打たせてしまったから


『もし、また悪い数値になり

腎不全がぶり返したら

今度は点滴は打たず自然に任せよう』

心に誓ったが…



いざ

3年後の20歳で

再発したとき


それが

出来なかった…



どうしても

点滴を打ちに行ってしまう。




前回と今回では

まっったく猫の状態が異なっていた。


前回は

とにかく点滴を打たないと震え出したり苦しそう

点滴を打つと体調が良くなる

点滴が効いてる間は食欲が戻る


それに対し


今回は

ぼんやりしてるけど

別に震えもしないし苦しそうではない。

点滴を打っても食欲は戻らない

それどころか、

点滴を打った方が具合が悪そうで

点滴が切れた方が楽そうになる。





今回は

1回目と2回目の点滴は

それなりに(体内の悪いものを出すという面では)効いたと思うが


食欲が一向に回復しない


これが前回と比べて

かなり異なる部分だった。



闘病生活中に食べたものカレンダーに

わかりやすく

赤字で点滴を打った日に

印を入れたが↓



3回目の点滴から

雲行きが怪しくなり


最後になった4回目の点滴では

まったく効果が現れてない


それどころか

先日の記事で書いたように


4回目の点滴後、

点滴のせいなのか

車酔いだったのかわからないが

ものすごいスピードで

何度も後退りしたり

自分自身の身体をコントロールできなくなったり


点滴を打った背中の部分から

点滴が漏れて

背中がビショビショになってしまってた



…もう点滴を受け付けなくなったんだ



そう感じた



そんな姿を見てるのに

どうしても点滴を止めるのに

罪悪感を感じてしまうのか

なかなか決心が付かなかった。





以前、実家で飼ってた猫が

(その子は腎不全ではなく足に腫瘍ができて亡くなったんだが)

病院に行くのを嫌がり続けたのに

最後の方は、自分からキャリーに入るようになった。と母親が話してたことを思い出し


最後の賭けのようなつもりで



弱っている猫ちゃんの前に

キャリーを持ってた。


キャリーを見るだけで

ものすごい勢いで拒否反応を示した。





そのときの嫌がる鳴き声を聞いて


なぜか

『お家に居たい』という言葉に

変換されて


我に戻った。


『この子は病院が嫌で鳴いてるのではなく

家に居たいから鳴いてるんだ』

そう思うようになったら

ストンっと何か腑に落ちて

心が軽くなった。



そして

自分の中の

病院には行かず自然に任せたい心

最後まで病院に連れてくべきという頭との葛藤が消えて


心のままに

『これからは飼い主として

老衰に近づけるための手助けをしよう』と決意を固めた。



そしたら


ネットで見かけた

そう思うけど

不安を感じて

なかなか決心か付かなかった文字たちが

スラスラと心に入り…





わたしの介護への

応援メッセージに変わっていった。



強制給餌は嫌われるし

それをしたところで


どう考えても今の猫ちゃんは

栄養吸収すらできないから

身体の負担を増やすだけだ。


(※20歳の大台に乗った猫だからそう考えられただけで、これがまだ10代の猫だったら多分、強制給餌してただろうが)





・餓死で死ぬんじゃなく
老衰だから食べなくなる

・餓死と老衰はまったく別物

・楽に逝くためには
老衰状態に近づけていくのが理想



この言葉にも

すごく励まされました😢



以降は

ねこちゃんが食べなくなっても


『なんで食べてくれないの‼️

なにか食べさせなきゃ‼️』と

猫ちゃんにも自分に対しても

追い詰めるような考えはなくなり


『仕方ないよね、老衰だもん』

食べれない猫ちゃんに対して

やさしい気持ちで接することができて

楽になった




飼い主として

『回復して欲しい。元気な姿に戻って欲しい。』

それが1番の願いだけど


歳をとった証として

その1番の願いが叶わないときが

絶対にくる


だけど

そうなったときに

飼い主として

『なるべく楽に逝かせてあげたい』という

もうひとつの願いがある


だから

そのときがきたら

その願いに切り替えて

その願いを叶えるために

精一杯に飼い主として

猫ちゃんをサポートする。


私は

そうするようにした。


そして

その願いのとおり

苦しまずに逝ってくれた





でもね

ここまでキレイな亡骸だと


『こんなにキレイなら

もっと生きれたんじゃないか?

やっぱり、あと一回位は点滴打ってあげればよかったんじゃないか?』


そういう風にも思えてきてね。


亡くなってしばらく数時間は

そんな自分を責めてたけど



その数時間のあいだで

片付けしてたとき


キャリーバッグもキレイにしようと

キャリーバッグの蓋を開けようとしたら


パキッと

2箇所も留め具が壊れてね💦


もし、このままあのとき

動物病院に連れてったら

猫ちゃんが落下してたかもしれない💦



だから

これでよかったんだな


とスッと飲み込められた。


もしかしたら

そうやって自分を責める飼い主に対して

猫ちゃんがパキッと留め具を割ったのかもしれない…なんて思ってみたり。




よく、猫の最期は

『枯れたように逝く』と聞くけど。


本当にその通りだと思った。


植物がきれいに枯れる準備をしているのに

そこに水を与えてしまったら?


ドライフラワーに

水を与えてしまったら?


キレイに枯れずに

部分的にぶよぶよと腐ってしまう。


きっと多分、

猫もそんな感じ。



ゴージャス杉本彩お姐タマの

この記事にも最期まで励まされました↓





引用記事元のブログの他の記事も

すごく勉強になりました↓





尿毒症が恐くて

緩和させる為に点滴を打ち続けると

過剰点滴になり

結果的に尿毒症のような症状が出てしまうらしい…。


結局は避けられないんだよね😢



すこしでも

楽に逝かせてあげたいと思う方の

参考になることを願って🙏



自分は『楽にかつキレイな状態で逝かせたい』と思うタイプの人間だが、

『1秒でも長く生きて欲しいから最後まで治療を続ける』タイプも

違うタイプだけど

【ペットを想う心】は一緒だと想うので

それぞれがベストな最期を看取れることも

心から願いたい🙏



だけど結局

猫ちゃんが願っていることを

私たち飼い主は自然と読み取って

最期の決断をしているんだと想うよ。