[競走特集] 注目ルーキー対談 第四回 山口竣平×立迫大徳×瀬間元輔 | 早スポオフィシャルブログ

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 今年も、長距離ブロックに強力なルーキーが入学してきた。立迫大徳(スポ1=鹿児島城西)はU20アジア選手権800メートルで優勝するなど、高校時代は中距離を専門としていたスピードランナーだ。山口竣平(スポ1=長野・佐久長聖)は5000メートルで13分34秒59という高校歴代5位の記録を持ち、3年時の全国高等学校駅伝競走大会(都大路)では、チームの優勝に貢献。瀬間元輔(スポ1=群馬・東農大二)は都大路で1年生ながら5区区間賞を獲得したロードの実力派だ。 そんな個性豊かな3人に、これまでの競技生活、そして、彼らの思い描く競走部での4年間について伺った。

※この取材は4月13日に行われたものです。

 

「花田監督のもとで競技がしたい」(瀬間)

 

対談中の瀬間

 

――他己紹介をお願いします

瀬間 (山口は)普段はお茶らけているのですが、陸上のことになれば真面目に取り組んでいると思います。

立迫 (山口は)普段は先程も言った通り、お茶らけているところもあるのですが、陸上だけではなく、こういうところで自分たちを引っ張っていってくれています。

山口 瀬間は結構抜けているというか、何を考えているんだろうなという場面も結構多いです。でも、競技に対してはかなり真っ直ぐに取り組んでいると思います。

立迫 瀬間はよく一緒にゲームをしたり、一緒の部屋で話したりするのですが、そういう時はすごくおもしろいです。たくさんいろいろな話をして、そんなに真面目な感じではないと思うのですが、走るとなったら意外としっかりしています。「何キロまででいいやん」と言っても「いやもう少し長く走るよ」みたいな、真面目なところもあるのかなと思います。

山口 立迫はボーリングが結構好きです。投げ放題は20何ゲームやっているらしいです。ボーリング好きの少年だなという感じです。競技面では、スピードがかなり日本でもトップレベルの立ち位置にいるので、自分も(スピードを)つけたいと思います。性格面だと結構お茶らけている部分もあるのですが、メリハリがしっかりしていると思います。

瀬間 (立迫は)先程言った通りいつも、一緒に行動しています。最初の方は人見知りっぽいような、大人しいのかなと思っていたら、意外とそんなことはなかったです。少し明るめの性格です。陸上に対しても真面目に取り組んでいます。僕が初めて一緒に走った時に、(立迫の)スピードにもう最初の10メートルぐらいで置いてかれてしまって、それが衝撃的でこんなやつもいるんだなと思ったのが印象です。

――お互いの存在を知ったのはいつでしたか

山口 瀬間は高校1年生の時の全国高校駅伝(全国高等学校駅伝競走大会)で5区区間賞を取った時に、1年生で区間賞を取っているんだという感じでした。立迫は忘れたのですが、高校2年生ぐらいにはもう全国大会のレベルで中距離を引っ張っていた感じだったので、そこで認識していたなと思っています。

瀬間 僕は、(山口)竣平は中学の時から結構速くて、名前は見ていました。高校でも駅伝で活躍したり、トラックでも成績を残したりしているので、もちろん知っていました。立迫に関しては、800メートルと1500メートルでかなりいい成績を持っていたので知っていました。

立迫 山口の方は佐久長聖という速い学校出身ということで、そんなに陸上の知識が僕はないのですが、佐久長聖のエースというので、高2の後半ぐらいに知りました。瀬間は入試の時に、一緒の学校のスポーツ推薦の3人というので知りました。

――高校と大学の練習にギャップはありましたか

山口 僕は2月の上旬にもうこっち(大学)の寮に入って、それからもう2カ月以上経ちました。僕は高校時代、距離をあまり走っていなかったので、最初の1カ月ぐらいは距離が長いことに対してかなり苦労しました。でも、最初の1カ月ぐらいで慣れて、今はもうほとんど練習もつけるようになってきています。特に今は高校の延長線上でてきてるかなという感じです。

立迫 僕は高校の時は中距離専門でやっていたので、ジョグの距離が一気に長くなったというのがありました。逆に、ジョグのぺースが高校の時はすごく速いペースで自満していたのですが、大学はあまり速くないぺースでのジョグが多いので、そこが少し違うところだと思います。

瀬間 僕は竣平と似ているのですが、走行距離が倍以上に伸びたというのでびっくりしました。

――高校時代は寮生活でしたか

山口 僕と立迫は寮生活でしたが、瀬間だけは自宅通いでした。

――瀬間選手は、初めての寮生活はいかがですか

瀬間 正直ホームシックになって帰ってしまうかと思ったのですが、意外となりませんでした。寮生活が充実していて、仲間もすぐ近くにいて、辛さが消されてたというのはあります。

――山口選手と立迫選手は、高校時代の寮と大学の寮の違いはありますか

山口 僕は佐久長聖高校出身なので、かなり寮生活が厳しかったです。高校1年生の時は1週間ぐらいホームシックが続いて、早く帰りたいと思っていました。逆に、高校時代厳しい環境でやってきたからこそ、早稲田大学の競走部の合宿所に入寮させていただいて、高校時代と比べて縛りがあまりないので、そこはすんなり大学の寮に慣れた感じかなと思います。

立迫 自分の高校は鹿児島城西ですが、年に2回しか帰省で遊ぶことができなかったです。そういうところでは、大学の寮に入って、自分で自由に遊んだり出かけたりできるようになったので、うれしいです。

――立迫選手はボーリングに行かれてるということですが、お2人は休日はどのように過ごされてますか

山口 僕は結構1人でいることが好きです。佐久長聖も厳しいとは言っても月に1、2回、多くて週に1回は絶対に外出ができました。高校時代は後輩や同期、先輩などと一緒に行ってて、人といる方がいいと思っていました。でも、案外僕は人に合わせるタイプより1人の方が楽しく過ごせるという感じなので、1人でいろいろ買い物に行くなど、 結構1人でいることが多いです。

瀬間 僕はやはり家が好きなので毎週帰っています。日曜日に泊まって、月曜日に帰ってきます。家の方が寝れるし、ご飯も美味しいです。

――花田勝彦駅伝監督(平6人卒=滋賀・彦根東)にはどのような印象を持たれていますか

瀬間 花田監督は高校の時より前から、同じ群馬出身ということで知っていました。初めて会っていろいろ話した時に、花田監督のところで競技をやりたいなと思ってここを選んだというのはあります。

山口 僕は学生の目線で指導してくれるというのがとてもありがたいし、良かったなと思います。高校の時は先生の意図を探りながら練習をしていたのですが、大学に入って、少しずつ花田さんがいろいろ意図などを言ってくれて、そっちの方が練習しやすく、自分なりにならずに指導者の目的に合ったマネージができています。そういう学生目線で指導してくれる監督だなって思いました。

立迫 自分は高校の先生が、厳しめでした。大学に入ってからは、花田さんがすごく自分に寄り添ってくれるような感じの指導方針なので、練習メニューも一緒に考えたりというところでは竣平も言った通り、学生目線で、寄り添ってくれるような監督だと思います。

――お付きの先輩と、その先輩の印象を教えてください

山口 僕は高校の先輩の長屋先輩(長屋匡起、スポ2=長野・佐久長聖)でした。僕と長屋先輩は高校で2年間被っていて、今年でもう3年目になります。長屋先輩は本当にツンデレで、ツンデレにも程があって。ツンツンする時はツンツンしているのですが、デレデレする時は本当にデレデレしています。それも長屋先輩のおもしろいところというか、かわいいところです。競技に対してはいろいろストイックですが、意外と抜けていて、見ててちょっとかわいいなというギャップがあって、かわいいなという先輩です。

立迫 僕のお付きは工藤さん(工藤慎作、スポ2=千葉・八千代松陰)でした。工藤さんはお付きの最初の2週間の時は、あまり外に出ない感じの先輩だったので、少し合わないかなというふうに思っていました。その2週間が終わって、履修登録などの時にいろいろ話すと、口癖に気付いて。僕が何か聞いたり、「何がありました」みたいなことを言ったりしたら、「マジで?!」と。それが結構お気に入りで、深く関わったら、ちょっとかわいいところがあるなと思いました。

瀬間 僕は山﨑一吹さん(スポ2=福島・学法石川)でした。高校の時に全国高校駅伝で並走して走ったことがあったので知ってはいたのですが、話したことはなくて。お付きでいろいろ仲良くしてもらって、お友達感覚で接してくれました。僕が言えることではないかもしれないですが、抜けてるタイプなので。ただいろいろ頼ってみると、意外としっかりとしているところがあって、いろいろ教えてくれました。

――陸上競技を始めたきっかけは何でしたか

山口 僕は、小学校5年生の秋に、出身が石川県なので、石川県の金沢市で開かれたロードレースに出て、そこで8位に入賞しました。親がちょっと陸上やってみるかみたいな、そういうノリで、僕もやってみたいなと思ってたので、それで小学5年生の秋、11月か12月から始めました。

立迫 自分は小学校の冬に学校のロードレースがあって、そこで優勝をしました。その時はバスケをしていたのですが、陸上の方がちょっと才能あるのではないかと思って、中学校からはバスケを辞めて陸上をしました。

瀬間 僕は中学で部活選びの時に、球技はできないし、何もできないから、走るぐらいならできるだろうという軽い考えで入りました。中学生から長距離を始めました。走ってみたら意外といけたからやっています。小学校のときは、小学校で開催されたマラソン大会はあったのですが、大会に出たことはありませんでした。

――高校時代で思い出に残ってる試合は何ですか

山口 僕の中では3つあります。まず1個目が、高校2年生の時の全国都道府県対抗男子駅伝で、そこで自分が4区で走って、区間賞区間新を出して、MVPにも選んでいただいたことです。もう1個は、僕が高校3年生の時に日体大記録会で、高校歴代5位の13分34秒59を出したことです。最後に、高校3年生の全国高校駅伝で優勝したことです。

――山口選手はなぜ佐久長聖を選ばれたのですか

山口 結構ぼんやりとしています。中学1年生の時からずっと佐久長聖に行きたいと思っていました。佐久長聖の特集を見て、ここで走りたいなという感覚がありました。本当に中学1年生の時は本当にぼやっとしていたのですが、佐久長聖に入った理由の1つが、今、順大にいる吉岡(大翔)先輩に憧れてというか、一緒に練習したいなと思ったからです。吉岡先輩が佐久長聖高校に入ったので、じゃあ僕も吉岡先輩と走って強くなりたいなというのも1つです。あとは1個上に長屋先輩もいたからです。というのも長屋先輩は富山出身でお互いに北陸出身で小学校の時から知っていたので、なんとなく一緒に走りたいな、練習したいなという感覚で佐久長聖を選びました。

――立迫選手と瀬間選手は思い出に残ってる試合はありますか

立迫 僕は高校3年の最後の800メートルの鹿児島国体(特別国民体育大会)が一番心に残っています。インターハイ(全国高等学校対校選手権)で負けた落合選手(落合晃、滋賀学園高)と最後の高校でのレースだったので、そこでインターハイのリベンジもできて、1分47秒台も出せたというのもあったので、そこが一番良かった試合ではないかなと思います。

瀬間 僕は思い出に残るというか、一番心残りがあったレースだと、3年目の全国高校駅伝です。その期間はすごい調子が良くて、竣平には及ばないですが、日本人3番ぐらいならいけるのではないかと思っていました。結構調子が良かったので、すごい自信持っていったのですが、結果蓋を開けてみたら、区間13位になってしまって。合わなかったというのもあるのですが、今それが一番自分の高校の中で思い出に残ってるレースかなと思います。

 

「学生だからという言い訳は通用しない」(山口)

 

対談中の山口

 

――大学の練習に参加されてから、レースにいくつか出られてると思います。これまでの競技の順調度を100点満点で表していただけますか

山口 僕は70点ぐらいかなという感じです。高校生の間に、2月から早大競技会とTOKOROZAWAゲームズに出て、そこはちょっと自分の中でうまくいっていなかったという感じはありました。現地時間で4月5日、日本時間だったら、4月6日にフランスのパリでアシックスのレースに参加させていただいて、そこでなんとなく自分の中で高校から大学への移行ができてるのかなという感覚、感触が確かめられたので70点ぐらいいくのかなと思います。

――山口選手は初めての海外でしたか

山口 はい。初めての海外でした。

――海外ならではの体験はありましたか

山口 5000円を取られました。道端で「名前を書いてください」と言われて。それで名前を書いたら金をよこせと言われました。その時僕全部クレジットカードで払ってたんです。だから、財布の中にもう日本円しかなくて、ユーロに1円も交換してなくて。日本の金しかないって言ったら、その日本の金くれと言われました。それで財布の中を開けてみたら1万円札か、5000円札しかなくて。それだったら5000円札渡すしかないと思って、泣く泣く渡したという体験がありました。

――太田直希選手(令4スポ卒=現ヤクルト)と同じレースを走られましたが、実業団選手と走ってみて感じたことはありますか

山口 やはり実業団の選手にはまだまだ及ばないというのが自分の中ではあります。やはり日本のトップを狙っていく上では、学生だけではなくて、そういう実業団の人と戦っていかなくてはいけないということを考えた時に、学生だからという言い訳は通用しないというか、そのようなことを言っていてはダメだなというのは感じました。

――立迫選手と瀬間選手はいかがですか

立迫 僕は、TOKOROZAWAゲームズと六大(東京六大学対校)に出ました。TOKOROZAWAゲームズはタイムもレース内容もダメで、六大学も優勝はできたのですが、レース内容があまり良くなかったので、総合的に見たら50点ぐらい、半分ぐらいかなと思います。

瀬間 0点ですね(笑)。僕はロードタイプというのもあって、トラックが本当に嫌でやりたくないのですが、今は頑張って向き合っています。花田さんともトラックの苦手意識をなくしていこうと話しています。レースは2つ出たのですが、自己ベストも出ずにいいスタートは切れてないので、これから頑張っていきたいなと思います。

――トラックが嫌いな理由はありますか

瀬間 単純に今までうまく走れたことがないからトラウマというのもありますし、景色が変わらないのが気持ち悪くてあまり好きではないです。

――山口選手と立迫選手は、トラックとロードではどちらがが好きですか

山口 僕は両方いけるタイプです。トラックだったら5000メートルで高校歴代5番のタイムを出していて、トラックに苦手意識があるかと言われたらそんなにないのですが、若干自分にも怖さがあります。やはり、トラックだといろいろなものが目に見えてしまうのですが、ロードだと自分の世界に入りやすいです。トラックはもちろんいけるんですけど、トラックよりロードが好きです。

立迫 僕はロードであまりいいタイムを出したことがないので、トラックが好きです。

――高校時代の勉強との両立について伺いたいのですが、勉強は得意でしたか

山口 僕は一応中学の時は(テストの点数は)半分ぐらいだったのですが、高校時代はとりあえず赤点取らないようにやろうみたいな感じでした。僕は一夜漬けで何とかしていました。

――立迫選手と瀬間選手はいかがですか

立迫 僕の学校は勉強しに行くというよりかは、部活のために頑張れという感じで先生に言われてたので、勉強は最低限赤点を取らない程度で頑張って、陸上メインでやっていました。

瀬間 文武両道を目指していた学校なので、勉強は結構難しかったです。自分は勉強が好きではなく、あまりやってこなかったので、両立は正直できていませんでした。でも、再試や追試になると部活に出れなくなってしまうので、それを避けるために点数は取っていたという感じです。

 

「オールラウンダーの選手に」(立迫)

 

対談中の立迫
 

――数ある大学の中で早稲田を志望した理由を教えてください

山口 僕はなんとなくですが、高校2年生の時の夏ぐらいまでずっと長屋先輩と一緒に練習をしていて、長屋先輩が早稲田に行くことになったので、僕も早稲田に行きたいなと思っていました。あと、都道府県駅伝で大志先輩(伊藤大志駅伝主将、スポ4=長野・佐久長聖)が長野県のチームとして選ばれていたので、いろいろ話を聞く限り、やはり自分にいろいろ合っていると思いました。また、高校の監督の高見沢先生にも相談した時に、数ある大学の中で早稲田に行った方が今後の競技人生で伸びると思うとおっしゃってくださいました。花田さんにもいろいろ話を聞いた時に、自主性を尊重しているということで。正直高校時代も自らやるという自主性が大きかったので、それなら大学でも移行しやすいかなと思い、早稲田大学を選びました。

立迫 僕は高校が厳しいところだったので、(早稲田が)それほど厳しくないというのは違いますが、なるべくそういうところに行きたいなというのがありました。先輩である3年生の須山さん(須山向陽、スポ3=鹿児島城西)もいたので、いろんな話を聞きながら、あまり厳しくはないというのと、やはり早稲田と言えば、早稲田ブランドというのが大きいので、そこを卒業できたらいいなと思って選びました。

瀬間 僕は花田さんの存在が大きかったです。花田さんがいたからここを選んだというのもあります。あとは、教育実習で千明先輩(千明龍之佑、令4スポ卒=現GMOアスリーツ)が来たので、その時に早稲田大学のことをいろいろ聞いて、千明さんが「早稲田いいんじゃない?」と勧めてくれて、いいかなと思いました。そうしたら、花田さんが(スカウトに)来てくださり、行きたいなと思いました。

――ご自身の走りの強みを教えてください

山口 僕は何個かあるかもといろいろ考えてみたのですが、正直ないと思っています。結構レースを引っ張ることも多いのですが、それで負けたりしてるので、特にそれも強さではないと思いますし、自分の中ではまだ見つけられてないと思います。

立迫 僕は中距離が専門なので、やはりスピードが持ち味というところで、ラストスパートで並んでいれば負けることはないという自信もあるので、自分のラストスパートのキレだったりが持ち味だと思います。

瀬間 僕も特に自分の持ち味というのはないですが、強いて言うなら中間走の粘り強さです。

――目標とする選手はいらっしゃいますか

山口 今は正直いないです。言うならライバルは自分だと思っています。他人のことを気にしていても ストレスになるだけだと思っているので、特に今はいないです。

立迫 自分もいないです。

瀬間 じゃあ、僕は間瀬田さん(純平、スポ3=佐賀・鳥栖工)で。寮の部屋が一緒で、誕生日も祝ってくれて、日頃いろいろ教えてくれたり優しくしてくれて。その反面、強いので。

――山口選手と立迫選手はライバルはいないということですが、瀬間選手はライバルはいますか

瀬間 同じ高校の子、東農大二高の同期には負けたくないです。

――大学で伸ばしたいことはありますか

山口 誰にも負けない体を作っていきたいと思っています。僕自身陸上をいつまでやるのかと考えた時に、もしかしたら大学までかもしれないと思っているので、大学で誰にも負けない体を作って、大学4年生になる頃には、誰にも負けないようになっていきたいと思います。

立迫 僕はスピードはあるのですが、スタミナがあまりないです。ロードで駅伝を走るとなったらまだまだスタミナが足りない部分があるので、そこを強化していきたいと思います。

瀬間 僕はトラックを人並みにできるようになって、駅伝ではチームに貢献できる走りをしたいと思います。

――今年の具体的な目標を教えてください

山口 今年の目標は、1回海外の大会に出場させていただいて、海外の選手にリベンジしたいという気持ちがあるので、もう1回海外でレースをして海外選手と戦ってみたいというのがまず1個の目標です。あともう1個は、日本選手権の5000メートルが6月にあるので、そこに出場できるようにしたいです。一応(日本選手権の)標準は切っているのですが、ターゲットナンバーで落とされる可能性があるので、本番までにもう少しタイムを伸ばして頑張りたいと思います。最後は、僕は早稲田大学に駅伝をしに来たので、三大駅伝、出雲(出雲全日本大学選抜駅伝)、全日本(全日本大学駅伝対校選手権)、箱根(東京箱根間往復大学駅伝)をフル出場をして、チームに貢献できる走りができればなと思っています。

立迫 今年はトラックをメインでやろうと思っているので、今度あるU20のアジア選手権だったり、その後の大事な日本選手権だったりというトラックレースをしっかり優勝できるように頑張っていきます。

瀬間 僕は具体的な目標はないのですが、いけるところまではい上がりたいなと思います。

――改めて、大学4年間でどのような選手になりたいですか

山口 大学4年間で誰にも負けないように頑張っていきたいです。日本の陸上界を引っ張っていけるような存在にこの大学4年間でなれればなと思います。

立迫 僕は、4年間の目標はトラックももちろんですけど、箱根も走りたいという気持ちはあるので、トラックの800メートルから箱根の20キロまで全部走るオールラウンダーの選手になれればいいなと思います。

瀬間 4年間で早稲田の駅伝漢になりたいです。

――ありがとうございました!

(取材 飯田諒、編集 佐藤結)

 

目標を書いていただきました!

 

◆山口竣平(やまぐち・しゅんぺい)(※写真右)

2006(平18)年1月15日生まれ。168センチ。長野・佐久長聖高出身。スポーツ科学部1年。自己記録:5000メートル13分34秒59。アシックスのレースに出るため、フランス・パリへ遠征に行った山口選手。ホテルのごはんは口に合わなかったそうですが、コーラは故郷の味がしたそうです!

◆立迫大徳(たちざこ・ひろのり)(※写真中央)

2005(平17)年11月18日生まれ。173センチ。鹿児島城西高出身。スポーツ科学部1年。自己記録:800メートル1分47秒97。近くにある中華料理店によく行くという立迫選手。スタミナキムチチャーハンがお気に入りだそうです!

◆瀬間元輔(せま・げんすけ)

2005(平17)年4月4日生まれ。174センチ。群馬・東農大二高出身。スポーツ科学部1年。自己記録:10キロ29分40秒。群馬県出身で、実家の近くには富岡製糸場があるという瀬間選手。焼きまんじゅうやみそパンなど、群馬名物を沢山教えてくださいました!