【特集】『令和5年度卒業記念特集』岡本大輝/ラグビー | 早スポオフィシャルブログ

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『成長』させてくれたもの

 

 「赤黒を着て『荒ぶる』を歌う」ーー。入部当初からの目標、そして自身の原動力をこう語ったのは岡本大輝(スポ=東京・本郷)だ。4年時にはBチームのキャプテンを務めていたものの、なかなか赤黒のジャージーを手にすることができず、何度も悔しい思いを経験してきた選手である。それでも岡本が前を向き続けられたのは「大学選手権で優勝する」という夢を叶えるため。チームのために走り続けた岡本の4年間に迫る。

 

赤黒の姿で活躍する岡本

 

 ラグビー経験者である親の影響で、幼少期から楕円球と触れ合ってきた岡本。「ボールを追いかけているのがただただ楽しかった」と、物心ついた頃にはその楽しさに魅了されていた。ラグビー部がある学校に入りたいと入学した本郷中では、新4年生の吉岡麟太朗(スポ3=東京・本郷)や桝谷連太郎(スポ3=東京・本郷)らと共に全国大会に初出場。準優勝に輝いた。周囲の期待を背に進学した本郷高でも、2年時にはチームとして8年ぶりとなる全国大会出場。3年時には2大会連続出場を果たした。

 

 充実した中・高校生活を送っていた岡本であったが、当時は大学でもラグビーを続けるとは考えていなかったという。そんな中、転機となる出来事が訪れた。2020年1月11日、全国大学選手権(大学選手権)・決勝。当時主将だった斎藤直人(令2スポ卒=現東京SG)率いる早大が明大を破り、11大会ぶりの王座奪還を果たしたのだった。受験を1週間後に控えたその日、岡本は、チーム斎藤が『荒ぶる』を歌う姿に心を奪われる。幼い頃から見てきた「強い早稲田」の一員になりたい、赤黒のジャージーを着て『荒ぶる』を歌いたい。その一心で早大ラグビー蹴球部を目指すことを決意した。

 

 いざ憧れの早大ラグビー蹴球部に入部すると、初めは「テレビで見ていた人たちが一緒のグラウンドにいる」ような感覚だったと、レベルの高さを痛感した。2年になり、上のチームの練習に参加するようになってからもなかなかその差を縮められず、「どうやったらあの舞台に赤黒を着て出られるのかというのが見えない状況だった」という。また当時はコロナウイルスの蔓延により、部活動のみならず、私生活でも厳しい行動制限を強いられる日々。ケガも重なり、精神的にも肉体的にも辛かった「耐えるシーズン」を過ごした。

 

ジュニア選手権・帝京大戦で躍動する岡本

 

 「防げるケガは全て防ぐ」。どれだけ実力がある選手でもケガをしてしまったら試合に出られないことを2年間で痛いほど実感した岡本。ケガに対する意識をこれまでとは大きく変え、万全の状態で試合に臨めるよう、些細なことにまで気を配るようになった。そんな岡本に待望の瞬間が訪れる。3年時の関東大学春季大会(春季大会)・慶大戦で見事赤黒デビューを果たした。「いざ試合に出ると、赤黒を着る重みのようなものを感じて全然楽しめなかった」。初めて味わう責任感や重圧に緊張を隠せなかった一方で、その後のジュニア選手権などにも多く出場。「少しずつ積み上げてきたものが形になってきた」と、徐々に結果が表れてきたシーズンとなった。

 

 「絶対に赤黒を着て『荒ぶる』を歌う。そのためには、まずは自分が試合に出て活躍しないといけない」。昨季の大学選手権・決勝で帝京大に敗れた後、より一層強まった『荒ぶる』への思い。それと同時に、最終学年になり「日本一を目指す組織の一員として自分にできることは何か」というチームに対する思いや責任感も感じるようになった。初陣となった春季大会、岡本はAチームのスタメンに抜擢されるようになる。しかし「すごく緊張してチームに迷惑かけないようにすることしか考えていなくて、なかなかアピールができなかった」と悔いを残す。また、最終節の帝京大戦で昨季同様、大敗を喫し、「春にやってきたことが正しかったのか、何のためにこんなにもきつい練習をしてるのか」などと考えてしまうこともあったという。それでも「全ては大学選手権で優勝するためだと改めてチーム全体に伝え、体現していかないといけない」。決意を新たに「今までで1番しんどかった」夏を乗り越えた。

 

粘り強くトライを狙う岡本

 

 そして迎えた関東大学対抗戦(対抗戦)、「3年間で1回も出るチャンスもなかったので本当に出たかった」と、最後の対抗戦にかける思いが一際強かった岡本。成蹊大戦で念願の初出場を果たしたものの、ラストシーズン、Aチームでの出場はその1回のみとなってしまった。「なかなかメンバーに入れず、もどかしい気持ちもある中で一度だけ成蹊大戦に出られて、それでもやっぱりそこで終わってしまったことが悔しかった」。それでも、岡本はBチームの試合でゲームキャプテンを多く務めた。「Bチームが1番強いチームが日本で1番強い」。早大が優勝するためにはBチームのレベルを上げることが大事だと、誰よりも強く信じ、それをチームに伝えることを心掛けた。また「実際の練習で相手をより再現できるように、対戦相手の試合の映像を何度も見て動画を切り抜き、Bチームに共有」するなど、下級生が主体のチームで、経験が少ない選手が多い中でも効果的な練習を行えるよう尽力し続けた。

 

ゲームキャプテンとしてBチームを引っ張る岡本

 

 「赤黒を着て『荒ぶる』を歌う」という夢を叶えるため、ひたむきに走り続けた4年間。その夢が叶うことはなかったが、最後は笑顔で「4年間どんな時も共に支え合い、乗り越えてきてくれてありがとうと伝えたい」と一緒に戦ってきた仲間への感謝の思いを語った。岡本にとってラグビーは「自分を成長させてくれたもの」。早稲田ラグビーで得たかけがえのない経験を糧に、新たな舞台へと羽ばたいていく。

(記事 安藤 香穂、写真 川上璃々、村上結太)