【連載】『令和5年度卒業記念特集』第54回 藤井将吾/ラグビー | 早スポオフィシャルブログ

早スポオフィシャルブログ

早稲田大学でスポーツ新聞を製作する「早稲田スポーツ新聞会」、通称早スポの公式ブログです。創刊から64年を迎え、600号も発行。ブログでは取材の裏話、新聞制作の秘話、現役大学生記者の苦悩を掲載‥これを読めば早スポ通になれる!

憧れから誇りへ

 

 「本当に充実した4年間だった」。そう振り返る藤井将吾(スポ=大阪・早稲田摂陵)は、早大ラグビー蹴球部で2つのストーリーを経験した。ラグビーに熱中した3年間、そしてグラウンドを見つめることしかできなかった1年間。惜しくもその一年は最終学年であった。それでも「早稲田ラグビーでプレーできたことを誇りに思う」と堂々と語った藤井の4年間を振り返る。

 

ラグビー経験者の父の影響で小学生の頃にラグビーを始めた藤井。その後系属校である早稲田摂陵に入学しラグビー部に所属した。入学後、顧問の先生が早大ラグビー部OBだったことをきっかけに赤黒の存在を意識するようになったという。さらに、年に一度の現役早大部員との交流を通してその名前はより身近になっていった。藤井が高校3年生の時には、全国大学選手権(大学選手権)で早大が優勝。その勇姿を目の当たりにし、伝統のあるチームへの憧れは強くなっていった。

 

高麗大戦にて相手ディフェンスに仕掛ける藤井

 

「出身校は関係ないことを証明したい」。入部後の決意表明ではそう宣言したが、いざ練習が始まるとフィジカルやスピード感の違い、ラグビースキルの高さに圧倒され自分との大きな差を痛感した。シニアの選手は雲の上の存在で、自分が赤黒を着ることは想像もできなかった。コロナの影響で、試合数が少ない中でも多くの出場機会を得た藤井。ラグビーができる時間こそは少なかったが、大学ラグビーを最も肌で感じた年だった。 2年生にあがると、入寮と同時にシニアでの練習が始まった。監督も変わり、1から自分をアピールするチャンスを迎える。トップレベルに少しでも近づこうと決意を固めた。「ラグビー人生で一番きつかった春」を乗り越え、秋の対抗戦ではバックアップメンバーに選出。3年生では、初めて赤黒ジャージーに袖を通した。評価されたことを素直に喜ぶ気持ちとともに、着たくても着られない人がいるジャージーを自分が着ていることに対して、今までにない責任感を感じた。「1回着ただけで満足できない」。憧れのジャージーを手にしたことで様々な感情が芽生え始めた。

 

 最終学年となり委員に選出された藤井。自分が何かの役職に就くなんて考えもしていなかった。周りの役員は強豪校出身が多く、全国大会経験が当たり前にあるような選手ばかりだった。その中で藤井は、一番下のカテゴリーから多くのカテゴリーを経験してきた。「自分にできるのはその経験をチームに還元すること」。ラストイヤーの覚悟を決めた。意気込んでラストイヤーへ繰り出した矢先、春シーズン開幕直後の練習中に倒れる。怪我をした瞬間は何が起きているのか分からず、「まあ大丈夫かな」と軽く受け止めていた。その日病院で下された診断は前十字靭帯断裂。長期離脱を余儀なくされる大怪我だった。それでも実感は湧かず、「ただやるしかないな」と復帰に向けてすぐに気持ちを切り替えていた。しかし、春シーズンの試合で奮闘する仲間の勇姿、夏合宿を通してチームメイトが見せる成長に徐々に焦りを覚え、自分自身何かできているのかと不安が芽生えるようになった。その焦りや不安は日に日に強くなっていく。少し前までは自分も立っていたはずのグラウンド。そこをただ見ることしかできない時間は、4年間の中で最も辛い時間だった。それでも、どんなに考えても怪我したという現状は変わらない。とにかく今の自分にできることだけを考えて毎日を過ごした。そんな苦しい時期の藤井の原動力は「またみんなとラグビーがしたい」という思い。そして何よりも、リハビリを支えてくれている家族やコーチ陣へ恩返しがしたかった。「グラウンドに立ってラグビーをすることが何よりの恩返し。」この決意が藤井を突き動かしていた。

 

4年早明戦で躍動する藤井

 

 7ヶ月ぶり、念願の復帰戦となった4年早明戦。A以外の選手が多く出場する試合だったが、藤井はある決意を持ってこの試合に臨んだ。「この試合を機にもう一度赤黒を着る。ただの記念試合にするつもりはなく、まだまだ上に上がるための一つの試合だと考えていた」。そして、迎えた大学選手権・京産大戦、藤井の姿はグラウンドに。しかし、身につけていたのは赤黒のジャージーではなかった。バックアップメンバーとしてアップを終えると、23人の仲間に全てを託した。早大は厳しい展開を強いられ、関西王者・京産大を前に屈することとなった。もう一度赤黒を着ることは叶わなかったが、「あの時怪我していなかったらという後悔はない」。そう言い切った藤井。思い通りにはいかず、今までに経験したことのないような感情も味わった最後の1年間。 「それも含めて自分のラグビー人生。これもまた一つの経験として、これからの自分の財産にしていけるように」。11年間のラグビー人生を締め括った。

 

鈴木陽結(政経4=東京・早大学院)と健闘を讃えあう藤井

 

 「多くの人の支えの中でラグビーができていたんだな」。4年間を振り返って改めて実感した。その恩返しへの思いを胸に、ラグビーから離れて新たな世界に挑戦することを決めた。たとえどんなに高い壁に阻まれようときっと大丈夫だろう。藤井の身には常に『赤黒』が纏われてているのだから。

 

(記事 清水浬央、写真 濵嶋彩加)