【連載】『令和5年度卒業記念特集』第49回 高美優/女子ソフトボール | 早スポオフィシャルブログ

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終わりなき旅

 「早稲田のソフトボール部でみんなとプレーできたのは一生の思い出」ーー。全日本大学選手権(インカレ)優勝を目標に4年間ソフトボールに打ち込んできた高美優(スポ4=福岡中央)。コロナ禍から始まり、3年秋からは『日本一強く、日本一愛されるチーム』をスローガンに主将を務めた。そんな高の「結果だけでなくいろいろな経験ができた濃い4年間」を振り返る。

 高がソフトボールを始めたのは小学生の時。兄の影響で初め、小、中学校の時には全国大会にも出場するほどだった。高校でもソフトボールを続け、U16日本代表にも選出。総合大学で競技を続けたいこと、自分の専攻したい分野があること、また早大女子ソフトボール部(女子部)の魅力に惹(ひ)かれたことから、早大への入学を決意した。しかし、高が入学した時はコロナが最も流行していた2020年。春学期はほとんどチームでの活動ができず、母校の福岡中央高校に行くなどして練習しており「早くソフトボールがしたかった」と振り返った。

 コロナの影響で活動に制限がありつつも、1、2年時の公式戦で下級生ながら試合経験を積んでいった高。3年時には主力として、全日本総合選手権東京都予選初優勝、東日本大学選手権(東日本インカレ)初優勝に貢献するなど、着実にチームの顔へと成長を続けた。そして3年秋には部内の投票で主将に就任。「自分がなるとは思っておらず、実感がなかった」と不安がある中でのスタートであった。しかし、新体制初の公式戦である東京都大学連盟秋季リーグ戦(秋季リーグ戦)では、そんな不安が吹き飛ぶかのように全試合完封での優勝。新チームの出だしは順調であった。

 

インカレで打席に立つ高

 「最初はプレーしている時は何も考えずにできていたが、チームをまとめるとことや運営のことが大変で、自分のプレーに集中できない時もあった」。秋季リーグ戦で優勝を収めたが、その後はなかなか結果を残せない日々が続いた女子部。東京都大学連盟春季リーグ戦をあと一歩のところで優勝を逃すと、東日本インカレも初戦負けに終わった。チームが勝てず、もどかしい試合が続く中で「課題点が出て、それをどうつぶしてやっていこうかと考えてもうまくいかない」と悩んだ時期もあった。「ほぼ毎日チームのことを考えていた」という高。自分にも他人にもストイックな性格ゆえに厳しい声掛けをする一方、雰囲気作りのために明るく、寄り添うような声掛けもしてきた。そして迎えた集大成のインカレ。7回まで両者点が入らず、タイブレークに突入する激戦に。9表の攻撃で得点できなかった早大は、裏の守備で2死三塁のピンチを背負う。カウントツースリーからライナー性の打球が高の頭上へ。「自分のグラブを弾いて地面にボールがついた瞬間、頭が真っ白になって、相手の歓声が聞こえた時に負けたんだなと思いました」。インカレ優勝の目標が散ったのはあまりにも一瞬だった。

 「インカレの同志社戦が終わって、本当に悔しくてもうちょっとソフトボールがしたい」。最初は大学卒業後はソフトボールを続ける気はなかったという高。しかし、インカレで悔しい思い経験し、もう少しソフトボールを極めたいと卒業後も実業団でプレーすることを決意した。そして「自分の国以外にもソフトボールを知ってもらいたい」と将来的には競技の普及にも力を入れいきたいというビジョンについても明かした。見る者を魅力する美しいプレーと、厳しくも優しい性格で、女子部をけん引してきた4年間。「自分たちの持っている力を出し切ったと思うので、やってきたことに悔いはないですし、ここまでできる環境を作ってくださった方々に感謝したい」。女子部で経験したかけがえのない4年間を経て、高はこれからもソフトボールの高みを目指していく。

 

インカレで塁上で喜ぶ高

 

(記事 近藤翔太 写真 齋藤汰朗)