臨済宗済松寺 | 無機質なGゲージ日記

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蔭凉山済松寺(さいしょうじ)は臨済宗の大きなお寺で、所在地は東京市牛込区榎町、現在の新宿区榎町です。3代将軍徳川家光公が創建したお寺なんだそうで、側室である桂昌院が創建した真言宗の護国寺ともごく近い場所に在ります。済松寺の在る場所は幕府祐筆であった大橋龍慶の屋敷跡を充当したものなんだそうです。


大橋龍慶と言う人は榎町の西側に在る牛込区天神町に牛込天神社を勧請した人で、嫡男の大橋重政も幕府祐筆に就任しています。処が将軍様のお覚えが目出度くなかったのか、嫡男が何らかの政治的な配慮をしたのか、1645年(正保2年)に大橋龍慶が亡くなると翌年には祖心尼が拝領して済松寺を創建します。祖心尼は家光公が敬愛していた人なので、大橋家側はその辺りの事情を斟酌して積極的に拝領屋敷を返上して別の場所に移っていった可能性は高いんじゃないかと思いますが、これは例によって学術性の低い私の勝手な推量です。


一説によると、済松寺の門前で由比正雪が軍学を講義する道場を開いていた、なんてこともあったようです。元来、牛込地区は江戸城からかなり遠いので、どちらかと言うと下級武士の組屋敷や農家が混在していたような場所ですから、現状に不満を持つ下っ端御家人が由比正雪のもとへ集まったのかも知れません。確か、由比正雪の謀反の後ろ盾になったのは家光公からこの寺を与えられた祖心尼だった、、、なんて小説を書いた作家も居たようです。


家光公お声掛かりだからと言うこともあるのでしょうが、寺自体がかなり広大です。更に、寺の敷地以外にも土地を所有しており、東京メトロ東西線の早稲田駅近くにまで済松寺名義の月極駐車場が散在しています。かなりの大資産家?であることは間違いないようです。


無機質なGゲージ日記-臨済宗済松寺
これが正門?だと思うのですが、表通りである外苑東通りには面していません。このお寺が創建された当時に外苑東通りなんてものは存在しませんから、面していないのはごく当たり前の話ですけど、、、。一般公開はされていないそうですので、これ以上深追いしての写真撮影は止めておきました。