「ちょっと貴方、大丈夫?」

 気が付くと霧小路が最上の肩を揺すっていた。

「先程からちょっと変よ?」

上から怪訝そうに覗き込む霧小路に「大丈夫だ」と答えた最上は、ゆっくりと立ち上がり前方を見詰める。そうだった、今は七海だ。いったいこの奥に何があるのだろう。

不意に暗闇に動く影が、ゆらりと現れ、近づいてきた。それはだんだんと人の形を作っていき、すぐ近くで最上達のよく知る人物となって現れた。

「ん? みんな…何してんだい? こんなとこで」

 七海は別段大した怪我も無さそうだった。だが、ここにいたからには理由があるはずだ。

「お前こそ、野暮用は済んだのか?」御柳が尋ねると

「ん? ああ。片付いた」と笑顔で答えた。

衣類の汚れや怪我といったものもない普段の七海を見て、喧嘩ではなかったのかとも思ったが、古武術の師範代ともなればそんなものかも知れない。

「祭りはもういいのかい?」七海が皆を促すのとは逆に、最上は暗闇へ一歩踏み出していた。

 次の瞬間、握り潰さんばかりの強力な痛みが最上の右手を襲った。危うく呻きそうになったがそこは堪えて振り返る。

 七海だった。出口を目指して引き上げようとする皆の後に笑顔で続く彼女はしかし、右手でしっかりと最上の右腕を捕まえていた。

「大丈夫だよ。もう済んだから」七海は優しく最上に言う。

だが、向けられたその眼は、獲物を食い殺す猛獣のそれを彷彿させるような威圧感を備え、明らかに最上を威圧していた。戦慄か? 初めての感覚だ。この先には行くなと言うのか。まさかこいつは…!

「鞘邑! 灰色の学ランの奴どうなった!?」

 最上は尋ねずにはいられなかった。何やら嫌な気分だ。この先に見てはならないものがあるような気がしてならなかった。

「フッ」最上は自分も後に続こうと踏み出してから、思い出したように「藤堂は少林寺拳法やってると言ったな? ここで彼女達を頼む。或いは祭りに戻るか帰るとかしてくれないか」と振り返った。

するとどういうわけか霧小路と水鏡は、含み笑いをして立っている。見ると先程までいた藤堂の姿が無い。霧小路が片手で最上の背後を指差していた。

 最上がバッと振り返ると、藤堂がテケテケと御柳達を追って行くのが見えた。

「なっ!?」

「てなわけで私達も行くから。安心して。いざとなったら、自分達だけでも逃げ切って見せるわよ」右手の甲で何かを払い退けるようにして霧小路までが、再び入口を背にした最上の右横を、てくてくと通り過ぎて後に続いた。「仲間外れはごめんだわ」

「旅行じゃないんだぞ! くそ!」入口の奥へ向かってそう言った最上は、左腕に軟らかい感触を得て振り向いた。

「真面目だね? 最上君て」

 見れば水鏡が最上の腕に、右手をかけてにっこり笑っていた。「夏休みになったらみんなで旅行にでも行けるといいね」

「…そうだな」思わず最上も笑った。

 外ではそろそろ街灯が点く頃か。中は薄暗かった。だが足元も何とか見えるのは入口から入る光が見える範囲で、立ち止まっているからだろう。六人は地下二階へ進む斜面の入口付近にいた。

「最上、この先は無理だ。どうする?」

 岩見は目前に、一閃の光も差さない暗闇を捉えてそう言った。

 間違いない。最上は荒ぶる気配を感じて、行く手を睨み付けた。奥から最上の胸に、ドンと響く鼓動のような圧力。

“一つじゃないな……”

その時だった。辺りが急に暗くなったように感じて、とたんに平衡感覚を失った最上は、バランスを崩してその場に片膝を着いた。

夢と現の入り混じったような不思議な意識の中、最上は遠くにその声を聞いた。

「…敵対する者は、皆全て灰となりましょう…」

 声はそう告げていた。男か? いや女かも知れない。

“誰だ?”

最上はそう言ってから少し考えを改めた。聞こえたのでは無い。これは或る何かが自分の頭の中に直接送っている言葉…。そして更にこの結論をも改めた。いや違う…。

“……記憶だ…”

朦朧(もうろう)とした意識の中で、いつの記憶なのか探りきれないまま、最上は現実に引き戻された。

 四  祭りの後

「御柳、やはりこういう場合は地下なのか?」

最上は、目前にぽっかり口を開けた駐車場地下フロアへの入口を前にしていた。

「さあな、どうせ誰も管理してない廃墟だろ? 上かも知んねえぜ? 最上、何故俺に聞くんだ?」

「一対一か? タイマンってやつだな。伏兵がいたりもするのか? 御柳」

「さあな、どういった因縁かも知らないからな。最上、何故俺に聞くんだ?」

「分かった下へ行く。俺は様子を見てくる。皆はもういい。戻ってくれ」最上は御柳の質問を全て無視した。

確かに変だ。こんな所に予想通りの二人がいるのか。思えば何の根拠も無い。そうだ。誰もいなければいいのだ。そう、いない。自分はそれを確認しに行くだけだ。

何故か言い聞かせるだけ無駄な気がした。自分はどうしたと言うのだろう。だが、理屈じゃない。妙な感じだった。まるで言いようの無い直感じみた感情。最上は今それに従って行動していた。

暗い廃墟にいざ入ろうとした時、

「ちょーっと! 一人で行って何する気!?」水鏡が押し殺した声でそう言いながら、最上の袖を掴んで腰を落とした。

「バカ、放せ! 別に気取って言うわけじゃない。女は無理だろう。御柳達は彼女等を頼む」最上は真剣だった。

「おい、バカ言ってんじゃねえよ」

見ると御柳が一人先に入って行くところだった。

「行かないのか?」

どうしたんだ? というような顔で、岩見も御柳の後に続いて入って行った。

「女は無理、か…なぁんか一端(いっぱし)の男みたいな事を言っちゃって…。女だなんて言うけど一人男みたいのも、いるみたいだし?…」

霧小路が頭の後ろで腕を組んで藤堂を見下ろしていた。恐らく藤堂の少林寺拳法の事を言っているのだろう。

「ふぅ?」藤堂が霧小路を振り返る。霧小路は、何か誤魔化したように満面の笑みで返した。