そして最上をチラリと伺う。

「葉月…」

「分かってるよねー? 自分のすべき事」

水鏡の笑顔が優しい。胸の奥にバラバラだった高凪中サッカー部の情景が浮かび上がっては嘲笑っているようだった。

チームは一人の人間が動作する如く、連動して戦うものだ。その仲間が二人もいるチーム。今まで無かったものがあるチーム。

この高鳴りは不安なのか? 高凪中のチームメイトに裏切られた? 今動かねば見捨てるのはお前だ最上! そんな思いが逆巻く。

“葉月は応援してくれているのか!”

 最上はゆっくりとレガースを手に取った。

「むー…帰る前にぃー観戦んんんー」

藤堂がバッグの無い方の手を握って頭上に翳し、元気良く背伸びをする。そして余す事の無い笑みを浮かべると、七海も笑った。

 私立鳳凰高校は、正門を下にして逆コの字型校舎、その右に体育館や武道場があり、そして正門から見てそれら建物の向こう側に総合グラウンドがある。サッカー場、野球場はまた更に奥で、総合グラウンドの縁、その土手下に、テニスコートとハンドボールコートを間に挟み、左に野球場、右にサッカー場だった。因みに競泳用プールは体育館の右にある。

 サッカー部の新歓試合は毎年人気イベントで、しかも昨年は、司令塔吉沢の鮮やかなドリブルが見られるという理由で、生徒も教師も総合グラウンドの縁から土手下のサッカー場を見下ろして観戦していたという。

 今年は更に増えていた。

「ありゃ、あれ先生だ」

 グラウンドに立った御柳はウォームアップしながら、土手の上に担任の姿を見つけた。

「凄いなこれは」岩見が御柳とやや背中合わせに呟く。

「全国の時はこんなもんじゃなかったけどな」御柳は言った。そして、何を見つけたのか、突然喉を鳴らして笑い出した。

「クックック…当然だろう! 最上!!」

 振り向く岩見も

「来たか…」

 してやったりという顔を合わせて、喜び合う。

「思い出させてやるぞ最上隆之! この熱気を。お前には失えないものがあるという事だ!」

岩見の大げさな冗談に、二人は腹を抱えてゲラゲラと笑った。

 週の頭から悪い夢を見た割には、よく眠れたようだ。放課後になって最上はまだ夢の内容が気になっていた。

“私達だけでは凌げないと言ったな……”

 何の事だ? と最上は思う。何を凌いでいると言うのか。そして私達とは…?

ふと我に返って、傍に水鏡がいる事に気が付いた。彼女は最上の顔を覗き込んで

「帰ろっか?」と照れ臭そうに笑った。

「ああ…」

最上が答えると、それを少し離れた所で見ていた霧小路が

「へえ…」と少し驚いて見せてから、にっこり笑ってみせた。彼女は水鏡に近づくと、右手で肩にポンと手を置き、眼で彼女に何か伝えるように覗き込む。

 水鏡は照れたように、下を向きながら上目遣いで霧小路を見詰め返して、にんまりと笑った。

 霧小路はそのまま着替えに行く。

「葉月ちゃん帰ろー」藤堂が水鏡に近づこうとするも、気を利かせた七海が後ろから肩に手を掛けてにっこりと笑った。

「あんたはあたしと帰りなよ」

「鞘ちゃん帰るー? よし! 帰ろー!」

藤堂はいつも独特のノリで、見ていて飽きない。

「どいてどいてーハイハーイ」

「ごめんねー水鏡さぁーん」

 そこに御柳と岩見が二人して話に入ってきた。まるで喜劇を見ているようだ。何やら普段より更に調子の良い気がする。いや、御柳に限ってはこんなものかも知れない。そして最上の机上にナイロン袋に入ったスパイクシューズが置かれた。御柳が

「これ、俺の使い慣れたシューズ。おニュウ買ったから、これやるよ」と言い出した。

 最上達があっけに取られていると、岩見が

「はいこれ、レガース。昨日トレーニングウェア買ったらついてきたやつ。お前にやるよ」

と言ってレガースを机上に置いた。

「いやぁー間に合って良かったねー岩見君!新歓試合当日だよー」

 御柳が岩見に向き直ってそう言う。見ると御柳は眼をいつに無く細めていた。そして今度は岩見が最上の肩に手を置いて話し出した。

「あのメンバーで戦うのは無理だ。何としてもお前のミドルシュート。あれ。必要」

「あのね、今日の試合、ポジション普通に機能しないの目に見えてるから」御柳が言った。

 そして岩見と御柳が立て続けにこうだ。

「お前攻撃。俺、守り」

「俺キーパー。宜しくー」

二人は交互に言いたい事を言うと、最後には揃って手を振り、宜しく、とグラウンドへ向かった。

「さてさて、どうすれば良いでしょう。ジャジャーン」

 水鏡が両手を腰の後ろで繋ぐように、バッグを下げ、楽しそうにひらひら揺れていた。

「貴様は誰だ?」

最上がそれを尋ねた時には、女は既に最上の上に乗りかかっており、毛布を挟んで下にある最上の胸元に手を這わせていた。

「つれないわね。本当に何も覚えてはいないの?」

「何をした!?」

最上は問い詰めようとした。すると女は鋭く攻撃的な視線で最上を射抜くと、意味ありげに口元を歪めた。

「色々よ。忘れたの? それは思い出して欲しいわ」

 動揺は隠せただろうか? だが、何か嫌な気分だ。ここで退くわけには行かない。

「言え!」

 牙を剥く最上に、いよいよ堪らないという顔をした女は、品の無い笑いを浮かべながら

「さあ…想像にお任せするわ」と囁いた。

 今まで胸元を弄(まさぐ)っていた彼女の右手。その人差し指が最上の鼻先をつるりと撫で上げる。

 最上が思わず上を向く瞬間、その指が最上の下唇に触れた。

「気に入らないわね。この唇。他に女を知っているようで…」

 最上が硬直する。一瞬力の入った最上の身体の上で、女はそれを感じ取ったのか、

「フフフ…分かりやすい身体」と言って直ぐさまその唇を塞いだ。不思議と薄れて行く意識の中、最上は頭の中に女の声を聞いた。

「これだけは覚えておいて。時間が無いのよ。目に見えない所で、既に動き出してる。先を越されるわけには行かないわ。早く記憶を取り戻して。でないと私達だけでは凌げない」

 やがて声は遠退いていく。その声はどこか切なげだった。

「お願い、記憶を取り戻して。そして私を思い出してね」