何故かこういう時、人間の思考は物事を浸透させるのに時間をかける。頭の中で必死に抵抗する、か弱い一般常識が大敗を喫して、それが最上の頭に理解できる程度に浸透した時、今までの事象や、聞いた話の多くが瞬く間に繋がっていった。エデン侵攻を企てた魔王達の戦略と張り巡らされる謀略の数々。人間達の知らない所で、恐らく数十年前から動いて来た魔神達。天はこの世を見捨てた? 確かに神の奇跡などというものは、よもや聖書の中にしか存在しないのかも知れない。

 この世に、もし彼女等の言う『パワーゲート』なる物が開けば、この世界はあのメイジョフのような魔神達で連日血の惨劇が繰り返される。そう、彼等は魔神。もしかすると親人派ではないのだろう………。

“いや!………ちょっと待て!!!……?”

突如最上の思考は、そこから先へ一歩も進めなくなった。眼は衝撃を受けたように左右に揺れ動いたかも知れない。足元から全身を駆け上がった感覚は、最上に心理的な寒さを与えていた。知覚的には痛みにも似たその感覚が、身体を震えさせ、或いは痺れさせているような、ある種の拒絶反応を最上に与えていた。

それは紛れも無い恐怖だった。最上は、今まで恐らく無意識に退けてきた結論を見つけてしまったように思えた。

“俺は!………誰だ!?……”

 最上はとうとう頭を抱え、机上に伏した。

 だが、最上の防衛本能を構わずねじ伏せるかのように、桜木は説明を続けた。

「各勢力の魔神達は慌てた。だが、遅ればせながら後に続いたようだ。結局、転生後に覚醒が早い者から行動を開始できる事を考えると、転生先んずる者は確かに有利ではあったが、決定的でもまた無かった。早く転生できても覚醒までに時間がかかれば、その分行動開始が遅くなる訳だからな」

 もう話は聞けなかった。凡そその殆どを聞き流して最上は自分を取り戻す事に必死だったのである。

“今は…何だ?……生徒指導室だ…先生に呼ばれて…ここに来たのだろう?…”

 最上は泣き出しそうな自分に気付いて、心の中で落ち着けと繰り返し言い聞かせる。

“さっきまで、普通に授業を受けていたじゃないか!…”

「最上君」桜木の声だ。

“昨日は試合にも出た!”

「最上」今度は七海だろう。

“日曜日は水鏡と会って…それで……”

 その時、脳裏に一つの言葉が留まった。『自分の人生において、どう認識するべきか』

そうだ。

話は聞いた。

事実とも結びついた。

既に昨日、駐車場で一人の魔神を灰にしているのだ。

事実。事実だ。

最上は静かにゆっくりと顔を上げた。

 七海はやれやれという表情だった。この仕組みはそういったものなのだろうか? そんな事を考えていると、七海は再び話を始めた。

「つまり、この世界に命が降り立つには、『輪廻(りんね)』というシステムを利用しなければならなかったんだよ。外部から空間ゲートを開く事は出来ないんだ。そこで元々その輪廻の中に流れていなかった生命を持つ異世界の住人達は、リスクを負いながらも、自らの秘術を用いて自力で己の魂を既存システムの流れに乗せ、その世界に誕生する事にしたのさ」

「秘術?」

許容限界を遥かに超えた内容。疑問が生じた最上の問いに、桜木が即答した。

「転生だ。親人派の魔王は、他勢力の手が伸びないうちに、この第四の人間界、即ち、かつて堕天使達に汚染された、人類最古の楽園エデンを制圧する事を決めたのだ」

「エデンの園…キリスト教だったか? ルシフェルの反乱により汚染されたというあれか?」

 最上は呟いた。七海が確かそんなんだったな、と言って笑った。そして更に続けた。

「キリスト教では、アダムとイブが住んでいたというあれだよね? エデンは天の祝福の言葉であった為、汚れた地の名に相応しくないというのがあったんだね…その名では呼ばれなくなってしまったんだ。ま、だからこそ天威遠く、魔神の手が届く距離にあったわけなんだろうけどね」

「エデンは、今も汚染された人類の住処? エデンから人類が追い出されたと言うのは、エデンの名を惜しむ者が伝えた…嘘だというのか? だとするとエデンという世界はいったい…」

 最上の疑問に七海が速やかに答えた。

「ここだよ…」

七海が話を引き継ぐ。

「違うよ最上、目的の事じゃなくて戦い方だよ。人間を支配、使役して戦う、魔神としては当然の構想とは別の手段で戦った魔神がいたんだ。例えば風を司る魔神達もいれば、土を司る魔神達もいる。彼は司るその一つに人を司ると言われた魔神達の一人だ。魔神達の中には、人類と共存共栄を目指した、凡そ魔神の価値観において、その風上にも置けないような魔神達がいたんだよ。最下級としての扱いを受け、誇りすらも認められなかった非力な弱小魔神達がね」

「どうなったんだ?」

最上は単純に尋ねた。気楽だった。聞く気が無いと思われているかも知れない。しかし桜木はそれに応じたように口を開いた。

「最初の世界が、ある下位魔神の勢力下に治まる頃、二つ目の世界の形勢は覆しようの無い所まで来ていた。親人派の魔神の勢力下に治まりつつあったのだ。親人派の魔神達は人間達に与えられた、魔法の道具を手元に出して駆使し、戦闘を有利に進め、また心の力、つまり魔力の強さに通ずる力だ。その使い方に極めて優れていた。元々人間の得意な所業だったよ。更に人間は自分達の能力を拓き、鍛えるに当たり無限の可能性を持っていた。司る魔神達然りだ。嘲りを恐れず、人を司る魔神と、誇らしげにそう唱えて戦った魔神達には、嬉しい戦果だったわけだ」

 今度は七海が口を開く。

「元々、人を司る魔神は下位魔神の中でも最弱だ。だが、それを極めた魔神の存在は今まで確認されてない。魔神伝承とか言われる伝説では『人司りし事を極めたる者は、即ち最強の名を冠す』と言うのがあるんだけどね」

 七海はここで一旦話を区切った。そして話は更に続くのだった。

「二つ目の世界が決着した丁度その頃、三つ目の世界は疲弊し、混沌としていた。いずれ泥沼のようなその世界へ行くとしても、今そこにパワーゲートを開くのは得策でない。そこで、親人派の魔王は、四つ目の世界の攻略に向かう事にした。いち早く形勢を固める為に他に先んじて、パワーゲート開こうと考えたんだ。だが、この世界には元々天界の定めた降臨の仕組みが未だ健在だった」