〝スピーチ〟・・・というと、個人的には(葬儀ではなく)結婚式が思い浮かびますが、和訳すると今日が記念日になっている単語になります。 それは、
演説の日
何とも大仰ですが、これは我が母校・慶応義塾大学で今からちょうど150年前の今日・1874(明治7)年6月27日に、日本初の演説会が開催されたことに因みます。
そして 〝演説〟という単語自体も、塾の創設者・福澤諭吉先生の造語なのだそうな。😲ヘェ~
福澤先生は近い将来日本でも民間選挙による国会・地方議会議員の選出が行われると予感し、その際の〝スピーチ〟の重要性をいち早く認識。
塾員有志を集めては定期的にスピーチの訓練・勉強会を重ねたといいます。
その中でスピーチを和訳する際、先生の出身地・旧中津藩にあった「演舌書」に着目。
更に「舌の字は餘(あま)り俗なり、同音の説の字に改めん」(福澤全集緒言)ということで、〝説〟が当てられたとのこと。
しかし残念ながら、現在では老舗(?)の慶應義塾より、早稲田の雄弁会の方がすっかり有名になってしまいましたけど。😣
さて、雄弁は時に国民をも動かすと言われますが、洋の東西を問わず今まで様々な名演説がありました。
リンカーン大統領やキング牧師の演説も有名ですが、私が個人的に最も印象深い演説は、何といってもケネディ大統領のもの。
彼が1961年1月に行った大統領就任演説で口にした一節、
“Ask not what your country can do for you,
ask what you can do for your country.”
(祖国があなたのために何が出来るかを問うより、
あなたが祖国のために何が出来るのかを問うて欲しい。)
この名文句は、権利主張ばかりしがちな現在の日本人が耳を傾けるべき心構えのようにも思えます。
しかしこれに比べると、残念ながら最近の日本の政治家の演説は〝名〟ではなく〝迷〟や〝珍〟のつくものばかり。
その原因は、発言する政治家自身に経験と実績・・・更に信念がないからなのかも。
バカ丁寧な敬語や「しっかり」とか「一生懸命」なんていう、子供の作文に出てきそうな抽象語の連発では、国民の信頼や支持が得られるわけがありません。
国民の心を揺さぶる名演説をぶてる政治家の登場が待たれます。
もちろん、実行が伴わなければ意味ないですが・・・。