今日は我が愛読誌・月刊 『致知』 1月号より、巻頭の特集記事を一部編集にてご紹介致します。
◆ ◆ ◆ ◆
遂げずばやまじ・・・目標を持ったら成功するまでは絶対にやめない、という固い決意の言葉である。
執念の極致を示した言葉といえる。
古来、世に偉業を為した人は皆、この言葉を体現した人である。
日本の蘭学の先駆者・大槻玄沢(1757-1827)は生涯この言葉を自戒の語としていた。
彼の言葉が残されている。
「およそ事業は、みだりに興すことあるべからず。 思ひさだめて興すことあらば、逃げずばやまじの精神なかるべからず」
事業というのは気ままな気持ちで始めてはならない。
心に深く決意して事を興すなら、何があっても必ずやり遂げるという強い思いを持って始めなければならない、ということである。
この言葉に不動の決意を得て生涯を貫いたのが玄沢の孫 (玄沢の次男で儒学者・大槻磐渓の三男に生まれた)・大槻文彦 (1847-1928)である。
文彦は幼少期から漢学や英学、蘭学などを幅広く学んだ。
1870年、24歳で大学南校(後の東京大学)で英学を学び、29歳で文部省勤務となり、日本語辞書の編纂を命じられた。
19世紀から20世紀にかけての当時、欧米列国はナショナリズムの高揚により国語辞典づくりに力を注いでいた。
イギリスの 『オックスフォード英語辞典』、アメリカの 『ウェブスター英語辞典』(↓)、そして 『フランス語辞典』 『ドイツ語辞典』 などが続々と企画・刊行・改訂されつつあった。
その中にあって、日本語辞典の完成は明治政府による日本の〝独立の標識〟となるものだったという。
このような背景のもと、文彦は29歳から17年の歳月をかけて日本初の近代的国語辞典 『言海』 を編纂した。
仕事は困難を極めたが、中でも1990年に1歳の次女を亡くし、次いで最愛の妻をチフスにより30歳で亡くした時は、さすがの文彦も数日間筆をとる力も出なかったという。
そういう悲しみを乗り越えての完成であった。
同辞典の巻末に、文彦はこう記している。
「遂げずばやまじ (略) おのれ、不肖にはあれど、平生、この誡語(かいご)を服膺(ふくよう)す」
自分は取るに足らない人間だが、事あるごとに常にこの祖父の言葉を心に留め、忘れず、困難を克服してきた、というのである。
その姿に思わず背筋が伸びる思いがする。
現代にも彼のように〝遂げずばやまじ〟の精神を貫いた人はいる。
その代表的なお二人の言葉を紹介しておきたい。
▼願望を成就につなげるためには、並みに思ったのではダメだ。
生半可なレベルではなく、強烈な願望として、寝ても覚めても四六時中そのことを思い続け、考え抜く。
頭のてっぺんからつま先まで全身その思いでいっぱいにして、切れば血の代わりに「思い」が流れる。
それほどまでにひたむきに強く一筋に思うこと。
そのことが物事を成就させる原動力となる。
・・・ 稲盛 和夫
▼成功するためには、成功するまで続けることである。
途中で諦めて止めてしまえば、それで失敗である。
いくら問題が起きても、次々と工夫を凝らして解決していけばよいのである。 それを挫けることなく繰り返していく。
決して諦めない、成功するまで続けていく。
そうすれば、やがて成功する。