小 姓 | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

日本史に於いて6月2日といえば、何といっても有名なのが 『本能寺の変』。(↓)
 

光秀の裏切りにより天下統一を前に命を落とした織田信長の命日にあたりますが、今日は彼と運命を共にした小姓の

 

 森 蘭丸


にスポットを当ててみます。

蘭丸は1565(永禄8)年に織田信長の家臣・森可成の三男(5人兄弟)として現在の愛知県一宮市に生まれました。

(※一般的に 『蘭丸』 の名で知られますが、本来の名は 『成利』 といわれ、また信長公記では 『森乱』 と記されており、〝蘭〟ではなく〝乱〟が正しいとも。)


そして8歳の時に弟らと共に信長に小姓として召し抱えられ、その4年後には500石の知行を与えられると、以後信長の側近・秘書役として終生行動を共にすることに。

17歳の頃には美濃金山城主に任ぜられましたが、実質的な差配は城代が務め、彼自身は信長の傍を離れませんでした。

というよりは、信長が彼を手放さなかった・・・と言った方が正確かも。

当時の武将は衆道(同性愛)を嗜むのが普通でしたから、おそらく信長と蘭丸もそういう関係にあったのでしょう。

蘭丸がゲーム等でジャニーズ系の美男子キャラとなっているのも、その辺が根拠になっているのかも。


そして1582(天正10)年6月2日に起きた本能寺の変により、蘭丸は光秀配下の安田国継の刃にかかり弱冠17歳で絶命。
(※死に至る経緯については他説あり)

同時に弟の四男・坊丸、五男・力丸もここで最期を迎えました。


岐阜県可児市にある森家の菩提寺・可成寺には三兄弟の墓が並んで建てられています。(


   

         左から坊丸・蘭丸・力丸

 

さてこの蘭丸、単に美少年だった(?)だけでなく秘書役としての事務処理能力・気配りもかなり優れていたそうな。

伝えられているエピソードの中から抜粋すると・・・

◆信長から隣の部屋の障子を閉めるよう命じられた蘭丸が行ってみると、開いていませんでした・・・が、蘭丸は敢えて自ら開けてから「ピシャッ」と音を出して閉めたのです。
そのことについて「なぜそうしたのじゃ?」と怪訝に思った信長から問われた蘭丸は「実際には閉まっていたと周囲の者に気付かれたら、開いていたと申された殿が面目が立ちませぬ故・・・」と答えたとか。

◆ある僧侶が信長に謁見する際、ミカンを山のように献上・・・それを運ぼうとした蘭丸を心配した
信長が「危ないから止めよ」と言った途端彼は転倒し、ミカンは部屋中にゴロゴロ・・・。
「それみたことか」と信長が呆れたのですが、翌日周囲の者共から「恥をかいたな。」と言われた蘭丸は「いや、ちゃんと運べば私を心配して下さった殿の面目を潰す故、わざとこけ申した。」と応え、逆に周囲は感心させられたそうな。


多少の脚色はあったにせよ、ティーンエージャーとは思えぬ心配りには驚くばかり。

信長が諸大名に対し、「我が自慢は、一に白斑の鷹、二に青の鳥、そして三に蘭丸」と述べたのは、彼が主君にいかに信頼されていたかを伺わせます。

もっとも、鳥類の後ってのはどうかとは思いますが。😅

しかしこれだけ気配りができ、頭の回転が速い秘書が1人いてくれたら・・・と思う社長さん、きっと多いと思いますョ。

あらためて戦国時代屈指の小姓・蘭丸の冥福をお祈り致します。



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