アメリカの大統領夫人を“First Lady ” と呼びますが、おそらく彼女程ドラマチックな人生を送ったファースト・レディーはいなかったと思います。
ジャクリーン・リー・ブービェ・ケネディ・オナシス
Jacqueline Lee Bouvier Kennedy Onassis
今日は、この言わずと知れたJ・F・ケネディ第35代アメリカ大統領夫人の命日・没後30周年にあたります。
彼女は、世界恐慌が起こった1929年に株式仲買人の父と銀行頭取の娘だった母の長女として、ニューヨークに生まれました。
父は娘に大変優しく、母は非常に厳格な躾を施したそうですが、ジャクリーンの幼少期に両親は離婚。
仏・ソルボンヌ大学に留学経験もあり、ジョージ・ワシントン大学を卒業後はワシントンの新聞社に就職。
父と同じ株式仲買人と婚約したものの、その後12歳年上のケネディ上院議員と知り合ったことで婚約を破棄し、1953年にゴールイン。
彼との間には4人の子供を設けました (※内2人は死産・生後直後に死亡) が、野心的なケネディ一族と読書好きで内気なジャクリーンはソリが合わず、また夫の女性関係には常に悩まされたとか。
そして大統領夫人となってからは、否応なく四六時中人々から一挙手一投足を注視される立場に。
そして1963年11月、彼女は隣に座っていた夫が銃撃・暗殺されるという余りにも過酷な体験をすることに。
〝ザプルーダー・フィルム〟に映し出された、銃弾に吹き飛ばされた夫の脳みそを拾おうとトランクの上を這いつくばる彼女の姿は忘れられません。(↓)
その後しばらく隠遁生活を続けた彼女は、5年後に2回り近く年上の大富豪・オナシスとの電撃的な再婚で人々を驚かせます。
もしかしたら彼女は、ファザコン・・・優しかった父親の姿を、夫となる男性に求めたのかもしれません。
しかしこの結婚は、社会的地位を欲したオナシスと浪費癖を満たすと同時に暗殺を恐れアメリカを離れたかったジャクリーン双方の打算によるものと揶揄され、事実殆ど同居すらしなかった形式的なものでした。
失望し離婚を考え始めたオナシスでしたが、その申請前に逝去。
彼女は莫大な遺産相続を巡って遺族と骨肉の争いをした後、マイケル・ジャクソンの自伝出版を手がけるなど編集者として活動しましたが・・・1994年5月19日、悪性リンパ腫によりひっそりと65歳の人生に幕を下ろしました。
波乱万丈の人生を送った彼女は今、天国で好きだった読書にいそしむ静かな日々を過ごしているのでしょうか?
小学生の頃、図書館で読んだケネディ大統領の伝記を読んで以来、私の中でのジャクリーンはいつまで経ってもこのイメージ・・・。(↓)
あらためて〝永遠のファーストレディー〟の冥福をお祈り致します。