対 立 | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

私を含めた昭和世代は、ニュースや新聞等の報道で以前この単語をよく耳にしたはず。

 (東西)冷戦
   Cold War

 

これは第二次世界大戦後、世界を二分したソ連を中心とする共産・社会主義陣営(東)と、アメリカを盟主とする資本主義・自由主義陣営(西)の対立構造を指す言葉。

軍事力で戦う〝熱戦〟に対して、直接の軍事衝突がなかった故に〝冷戦〟と言われました。

 

この “Cold War ” という単語を始めてアメリカの思想家ジェームズ・バーナム(James Burnham 1905-1987)が使ったのが、今からちょうど80年前の今日・1943年4月16日だったそうな。

※但し広く世に知られるようになったのは、1947年にアメリカの政治評論家ウォルター・リッツが書いた 『冷戦-合衆国の外交政策研究』が出版されてから。

 

        

 

この東西冷戦の端緒となったのは、1945年2月4~11日にかけてアメリカ・ソ連・イギリスの3ヶ国の首脳によって行われた、ヤルタ会談でした

   

        左からチャーチル・ルーズベルト・スターリン

 

この会談によって、ポーランドの国境策定やエストニア・ラトビア・リトアニアのバルト三国の処遇など東ヨーロッパ諸国のさまざまな戦後処理が取り決められ、枢軸国だったドイツはアメリカ・イギリス・フランス・ソ連の4ヶ国によって分割占領されることに。

 

ソ連の占領区域にあった首都ベルリンは東半分をソ連が、西半分を他 の3ヶ国が統治することになりましたが、やがてベルリンの4ヶ国管理理事会は機能しなくなり、東西ベルリンの分裂が決定的に。


ドイツ全土においても、ドイツ民主共和国(東独)とドイツ連邦共和国(西独)との分割状態(↓)が固定化してしまいました。
 

東西の対立は、1946年にチャーチルが行った演説の中で例えた〝鉄のカーテン〟と言う言葉が如実に言い表していますが、1948年からソ連が核開発に乗り出したことによりアメリカとの緊張は更に高まり、翌年4月にはアメリカなど西側陣営は北大西洋条約機構(NATO)を結成して、ソ連包囲網の構築を開始。

対してソ連は、ドイツから解放した東欧諸国を傘下に収めるべく、1955年にワルシャワ条約機構(WTO)を結成。

次第に対立を深める米ソ両国の緊張が最高潮に達したのが、1962年に起きた〝キューバ危機〟(↓)。

 

 

 

 
※東西両陣営の分布を見ると、キューバがアメリカの喉元を伺うナイフのよう・・・アメリカが神経を尖らせるのも分かります。

それに対して、日本がソ連・支那の太平洋進出を阻む防波堤であり、アメリカが重要視したのも明らか。

 

 

 

ちなみに青・赤いずれにも属さないインドやアフリカ諸国は、当時〝第三世界〟と呼ばれました。

 

まさに両大国による直接対決、核戦争の勃発一歩手前で事無きを得ましたが、この前後にはその代理戦争といえる朝鮮戦争やベトナム戦争がありました。

しかし、やがて果て無き核開発競争や軍備増強を続けた結果、経済的に劣る東側陣営が疲弊。

1985年にはソ連共産党書記長に就任したゴルバチョフがペレストロイカ(改革)を提唱。

更に1987年に米ソが中距離核戦力全廃条約を締結したことで、東側諸国に民主化の波が押し寄せ、ポーランド・ハンガリー・チェコスロバキアで次々と共産主義政権が連鎖的に崩壊。

そして遂に1989年11月、ベルリンの壁が崩壊。(↓)

 

 

その翌月にアメリカのブッシュ大統領とゴルバチョフ書記長がマルタ会談を行い、そこで両名が冷戦の終結を宣言。

第二次大戦終戦後44年に渡る冷戦に終止符が打たれたのです。

その久しく耳にしない単語でしたが、もしかしたら武漢肺炎をキッカケにしてアメリカと支那の間でまた使われることになるかも。

あっ、政治の世界では使わなくなっても、ずっと以前から冷戦が続いているご家庭もあるでしょうが・・・。😰

 

 

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