ボイン | ナベちゃんの徒然草

ナベちゃんの徒然草

還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

早速ですが、皆さんはこの方をご存知でしょうか?

     

主として男性、それも私のような昭和世代の方でないと分からないかもしれませんが・・・今日はこの落語界の異端児というか、月亭八方の師匠でもあった

  初代 月亭 可朝 師匠

の命日・七回忌にあたります。

 

可朝(本名:鈴木傑[まさる])師匠は、1938(昭和13)年に兵庫県西宮市で生まれました。

大阪府立城東工業高等学校卒業後大学受験に失敗した彼は、3代目林家染丸に入門。

林家染奴の高座名で1959年に大阪・千日劇場で初舞台を踏みますが破門され、師匠・染丸の紹介で3代目桂米朝に再入門、2代目桂小米朝と改名。

しかし1967年頃に吉本興業の林正之助社長が自社の専属落語家の名前に〝小〟が付いているのが気に入らないと改名を促したことから、彼は幕末から明治まで活躍した月亭文都に因む月亭を、そして尊敬していた三笑亭可楽の〝可〟と師匠・米朝の〝朝〟をいただき、初代・月亭可朝を名乗るように。

1968年に棺桶の中から飛び出すという奇抜な襲名披露を行った彼は、それまでの古典落語噺家にはない独特の芸風で人気を博しました。

自作の歌を使った漫談で放送の世界に進出すると、まともに弾けないギターを手に即興で披露した 『嘆きのボイン』 が大ウケ。(↓)

 


おそらく〝ボイン〟という言葉は、彼が世の中に定着(?)させたはず。

これを始めとする彼が編み出した〝可笑曲〟はレコード化され大ヒット、お笑い芸人が歌のレコードを出す嚆矢となりました。

 

『ヤングおー!おー!』・『11PM』という当時の人気テレビ番組のレギュラーに抜擢され、父親のスタイルから採り入れた丸メガネ・チョビ髭にカンカン帽という出演時の風変わりな洋装は彼のトレードマークとなり、冒頭の写真の通り高座でもその格好で登場するように。

しかし芸の実力は一級品で、桂米朝師匠や非常に仲が良かった同じ落語界の異端児とも言える立川談志師匠も、一目置く程。

一方プライベートではラブホテルでの婚約無効訴訟や、別の女性に対するストーカー事件を起こしたり野球賭博で逮捕・起訴されるなど、こちらでも世間を賑わせました。

現代だったらとっくに落語界を追放されているはずですが、古き良き時代に生きられてラッキーでしたネ。

知名度を生かして参院選にも立候補しましたが、残念ながら落選。

破天荒な人生を歩んだ可朝師匠が急性肺線維症のため80歳でこの世を去ったのは、2018(平成30)年3月28日のことでした。

あらためてその芸風を懐かしみつつ、ミスター・ボイン(失礼!)のご冥福をお祈り致します。



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