最高裁 | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

戦後男女同権が叫ばれる中、初の女性国会議員が誕生したのは、1946(昭和21)年。(↓)

 

 

そして初の女性大臣の誕生は、1960(昭和35)年でした。

 

 

では、初の女性最高裁判事となった

 高橋 久子 さん

が任官されたのはいつ頃だったと思いますか?

 

     

実は国会議員や大臣よりも遥かに遅れて、今からちょうど30年前の今日・1994年2月9日、平成時代(6年)に入ってからのことだったんです。

 

高橋さんは1927(昭和2)年に福岡県北九州市に生まれました。

門司高等女学校から東京大学経済学部に進学。
卒業後1953年に労働省に入省。

内閣審議官や労働省婦人少年局長を歴任し、1982年に退官後は婦人少年協会会長、アジア女性交流・研究フォーラム理事長、21世紀職業財団会長を務めた後に、女性初の最高裁判所判事に任命されたのです。

ここまで読んでこられて、「あれっ?」と思われた方もいらっしゃるでしょう。

そう、高橋さんはそれまで裁判所とは全く無縁の官僚だったんです。

裁判官・検事・弁護士の経験がなくても、最高裁判事になれるんですねェ。

 

最高裁判所裁判官は、その長たる最高裁判所長官1名と最高裁判所判事14名の計15名からなります。(裁判所法第5条第1項)。

   

 

「識見が高く法律の素養がある40歳以上の者から任命される」と定められ(裁判所法第41条)、定年は70歳(同法第50条)。

そして近年はその経歴から裁判官枠6名、弁護士枠4名、検事枠2名、法学者枠1名、そして高橋さんのような行政官枠が2名という内訳になっており、彼等の任命は内閣が行い、天皇が認証する形。

高橋さんを任命したのは3人の女性閣僚がいた細川内閣で、多分に女性の登用を意識して行ったと思われます。

つまり時の内閣がかつての民主党のような反日左翼政権になると、最高裁判事も左翼思想の人材が登用される可能性が大ということ。

 

制度上最高裁判事は、任命後初めて行われる衆議院議員総選挙の際に国民審査を受けることになっています(日本国憲法第79条第2項及び4項・最高裁判所裁判官国民審査法)が、過去これにより罷免された判事はゼロ。

法曹界の左傾化を防ぐためには、保守政権の維持が必要不可欠ということも、皆さんにはお含み置きいただきたく・・・。


 

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