3日前の拙ブログ・特別増刊号で触れた竹島や尖閣諸島問題を踏まえ、私たち日本国民は〝領土〟についてしっかりとした認識を持つ必要があるでしょう。
その意味で、今日・2月7日は重要・・・なぜなら、
北方領土の日
だからです。
これは北方領土問題に対する国民の関心と理解を更に深め、全国的な北方領土返還運動の一層の推進を図るため、今から43年前の1981(昭和56)年に閣議了解によって制定されました。
日本と帝政ロシアとの間で最初に国境の取り決めが行われた日露(魯)和親条約の締結日が、1855年2月7日(※新暦)であることに由来しています。
さて、その北方領土とはどこに位置し何という島々のことを指すのか?・・・皆さんは、すぐに答えられるでしょうか?
正解は、こちら。(↓)
エトロフ クナシリ シコタン ハボマイ
我が国は古来より北方四島(択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島)の存在を知り、多くの日本人がこの地域に渡航すると同時に統治を行っていました。
そして上記の日露(魯)通好条約によって、両国の国境を択捉島とウルップ島の間であることを確認したのです。(※上図右上の赤斜線)
以降、北方四島が他国の領土となったことはなかったのですが、大東亜戦争末期の1945(昭和20)年8月9日、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄して突如日本に攻撃を開始。
そして日本がポツダム宣言を受諾した後の同年8月28日から数日間で北方四島の全てを占領してしまったのです。
当時四島にソ連(ロシア)人は誰一人おらず、日本人は四島全体で約17,000人も住んでいましたが、ソ連は1946年に四島を一方的に自国領に編入し、1949年までに全ての日本人を強制退去させたのです。
ちなみに第二次大戦中の1943年に出されたカイロ宣言では、
『暴力及び強欲により日本国が略取した地域等から日本は追い出されなければならない』
とされましたが、北方四島が当該地域に当たらないことは、上記の歴史的経緯に照らしても明らか。
にも関わらず、今日に至るまでソ連~ロシアによる不法占拠が続いているのです。
分かりやすく言えば、隣人がある日突然塀を乗り越えて我が家の〝離れ〟を占拠し住みついて出て行かない状態が、80年近く続いているということ。
これって、どう考えても違法かつ異常事態でしょう。
そして2010年には、史上初めてロシアの大統領が北方領土に上陸し、翌年には国防相が来訪するという由々しき事態がありました。
その遠因として、当時の民主党政権の領土問題に対する認識・施策の甘さがあったことは否めません。
戦後半世紀以上も平和を享受してきた私たち日本国民一人ひとりがあらためて領土問題に強い関心を持ち、自らの権益を守る意識を高めて政治家や外務省の尻を叩かなければ、これからも諸外国からの遠慮会釈ない侵略行為を許してしまいます。
同時に、たとえ違法であっても一度盗られた領土・領海は簡単に取り戻せないことを、強く認識しなければなりません。
竹島と合わせ、自らの領土と宣言していながら他国の実効支配を2地域も許し、更に沖縄などで外国人による違法な政治活動を許しているお人好しの国なんて、日本以外に存在するのでしょうか?
最後に学校では教えない 『蛍の光』 の4番を皆で歌いつつ、北方領土の返還と尖閣諸島の死守を願い・・・いや、誓いましょう。
千島の奥も 沖繩も
八洲(やしま)の内の 護りなり
至らん國に 勲(いさを)しく
努めよ我が背 恙(つつが)無く