参 賀  | ナベちゃんの徒然草

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1月2日の恒例行事・・・といえば、箱根駅伝と

 一般参賀

 

テラスにお出ましになる天皇・皇后両陛下や皇族の方々がにこやかに手を振られる姿を拝見し、天皇陛下のお言葉を聞くと、穏やかな正月を迎えた気分になるのは私だけではないでしょう。

ところで、この一般参賀・・・いつから始まったのでしょう?

調べて見たら、最初は1948(昭和23)年。
意外にも戦後から始まったんですネ。

でも良く考えて見たら、それは当然のことかも。

だって戦前は天皇陛下は現人神(あらひとがみ)・・・一般人はそのお姿を見るどころか、お声を聴いたのもあの玉音放送が初めてだったのですから。

おそらくこの一般参賀も、1946年の人間宣言の後全国巡幸をされた天皇陛下が、一般国民に親近感をアピールするために行われたのでしょう。

 

第1回目の一般参賀は、1月1日の元旦に行われました。
 

参列者は正門から坂下門に抜けるように進み、その参賀の様子を昭和天皇がお一人で宮内庁舎の屋上から眺められ、手を振られたそうな。

 

天皇・皇后両陛下がお出ましになられたのは1951(昭和26)年からで、行事の都合により1月2日になったのは1953(昭和28)年から。

  

    

          1953年の一般参賀

 

その後宮殿造営のため一般参賀は一時中断されましたが、1969(昭和44)年から宮殿で再開され、新年の一般参賀は昭和天皇の体調が悪化した1989(昭和64)年と、崩御された翌年の1990(平成2)年、それから武漢肺炎流行の影響による2021(令和3)年・2022(令和4)年を除き毎年開催されています。

新年を祝う皇室行事ではありますが、過去には悲しむべき事故・事件も起きてしまいました。

 

まずは、今からちょうど70年前の今日・1954(昭和29)年1月2日に起きた 『二重橋事件』

 

この年、皇居を訪れた参賀者は30万人以上。

 

ちなみに昨年の参賀者数は81,540人だったそうですから、その数がいかに凄まじいものだったか想像するに難くありません。

しかし当時は警視庁などの警備は手薄かつ経験不足・・・警察官が列を前に進めようとロープを上げたところ二重橋に参賀者が殺到。

その中にいた老婆が転倒したのをきっかけに50名以上が将棋倒しとなり、6名が死亡し65名が重軽傷を負うという惨事となりました。

後に天皇・皇后両陛下からも死亡者に菓子と盛花、負傷者には果物が見舞品として下賜されたといいます。

 

そしてもうひとつの事件は、前述の宮殿造成がなって一般参賀が復活したばかりの1969年に起きました。

なんとバルコニーにお出ましになられた昭和天皇に向かって、手製のゴム・パチンコでパチンコ玉を4発撃った輩が。

幸いにも陛下には当たりませんでしたが、犯人はその場で取り押さえられ、後に暴行罪で懲役1年6ヶ月の判決を受け服役しました。

現在の一般参賀では、皇族方は防弾ガラス越しにお出ましになりますが、それはこの事件がきっかけでした。

 

    

今日の一般参賀が無事に執り行われ、今年一年天皇・皇后両陛下がお健やかであられることを、そして日本が平和であることを祈願するばかりです。


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