【特別増刊・拡散希望】 抵 抗 | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

第二次世界大戦末期の1945(昭和20)年2月初旬、クリミア半島のヤルタで、米大統領ルーズベルト・英首相チャーチル・ソ連首相スターリンが集まり3ヶ国首脳会談が行われました。

 

その際ルーズベルトは、ソ連による千島列島・南樺太の領有を認めることを条件に、日ソ中立条約を破棄して対日参戦するようスターリンを促します。

 

これが所謂〝ヤルタ密約〟ですが・・・実は狡猾・貪欲なスターリンは、終戦直後に北方4島を含む千島列島全島の領有だけでなく、日本のシベリア出兵(↓)に対する代償という口実で、北海道の半分を要求してきたのです。

 

実際スターリンは北海道全てを占領すべく、アメリカの制止を無視してサハリン南部から北海道に3個師団の上陸部隊を出せるよう極東軍事最高司令官に準備指令を出していました。

 

しかし幸いにも北海道にソ連軍が上陸することはなく、北海道は日本の領土となっていますが・・・そのウラには、教科書には載っていない日本軍人の決断と奮闘があったのです。

 

それは、玉音放送が流されてから3日後の8月18日から始まり、78年前の今日・8月21日に終結した


 占守島の戦い

 

でした。 同島は、カムチャツカ半島の南端から約10km離れた千島列島の最北端に位置する、(東京23区の約6割にあたる)面積約388㎢という比較的小さな島。

 

   

            占守島(赤↑の先)

 

ここに駐留していた日本軍はポツダム宣言受諾を受けて武装解除中でしたが、そこに8月18日未明、ソ連軍が突然対岸のカムチャツカ半島から砲撃を開始、更に竹田浜から上陸してきたのです。

 

   

 

その時、第5方面軍司令長官兼北部郡管区司令官として北海道にいた樋口季一郎中将(1888-1970)は熟慮の末、戦闘行為を禁じていた大本営の指示に従わず、現地部隊に反撃を命令。


     

 

上陸用舟艇16隻など計54隻の艦船と8,300人余りの兵力を有し、1日で占守島を占拠して千島列島を南下する計画だったソ連軍に徹底抗戦し、足止めさせました。

 

結局ソ連軍は上陸地点にくぎ付けとなったまま、戦闘は日本軍が降伏した8月21日に終結。

 

しかし日本軍の戦死者約1,000名に対し、ソ連軍は1,500~3,000名で、戦況は日本軍有利だったといわれています。

 

その後同月27日までに抵抗することなく武装解除に応じた日本兵は、10月にソ連船に乗せられシベリアに抑留されることに。

 

もしソ連軍が占守島に上陸した際に日本軍が抵抗しなければ、ソ連軍はそのままの勢いで一気に南下し、アメリカ軍が駐留する前に北海道を侵攻・・・現在の日本は朝鮮半島のように分断されていた可能性が十分にありました。

最近
の世論調査では、「もし侵略されたら戦わずして逃げる」 と答える10・20代の日本人が少なからずいるようですが、そういう若者には是非この史実を教え、今私たちが平和な暮らしが出来るのは、先人の奮闘と犠牲の上に成り立っていることを知らしめるべきでしょう。

 

     

        現在も占守島に遺されている戦車


占守島の戦いについて詳しく知りたい方には、こちらの浅田次郎さんによる力作をご一読いただきたく・・・。

『終わらざる夏』 (集英社・刊 ※文庫版もあり)

 
 

【余 話】

 

樋口中将はその後、抵抗されたことを根に持ったスターリンによって極東軍事裁判で戦犯に指名されました。

 

しかし彼はハルビン特務機関長だった1938年3月に、ナチスの手を逃れるべくシベリア鉄道でオトポール駅まで逃げてきたユダヤ人18名を保護し、上海に逃がしたことが。(オトポール事件)

 

あの杉浦千畝が〝命のビザ〟を支給した1940年7月より2年4ヶ月も前のことでした。

 

以後この〝樋口ルート〟を利用して満州から海外に逃れたユダヤ人は、(樋口中将の回顧録によれば)数千人もいたとのこと。

※そのユダヤ人救済を許可しドイツからの抗議を突っぱねたのは、当時関東軍参謀長だった東條英機中将。

 

それを恩義に感じたユダヤ人は、スターリンの戦犯指定を知るやいち早く世界規模で樋口救出活動を展開し、彼の身柄はソ連に渡されることはありませんでした。

 

嗚呼、情けは人のためならず・・・。

 

石原莞爾や阿南惟幾陸相とは陸軍大学校同期の親友でもあった〝徳将〟樋口中将に関して詳しく知りたい方には、こちらの書籍をオススメします。

 

『指揮官の決断 満州とアッツの将軍 樋口季一郎  

             (早川 隆・著 文春文庫・刊)

 

        

 

日本の軍人にも、こういう立派な人格者がいたことを、是非次世代に語り継いでいただきたく・・・。扇子

 

 

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