・・・といっても、柔道のことではありません。
今日は、我々日本人にとって忘れられない・・・いや、決して忘れてはならないアメリカ軍人、
カーチス・エマーソン・ルメイ 少将
Curtis Emerson LeMay (※階級は大東亜戦争末期当時)
の命日、日本流に言えば三十三回忌にあたります。
1945(昭和20)年3月10日の東京をはじめ、大阪・名古屋などの主要都市の空襲を指揮し、多くの一般人を殺戮した張本人・・・といえば、お分かりいただけますでしょうか。
ルメイは1906年オハイオ州生まれ。
小さい頃からパイロットに憧れていたそうで、オハイオ州立大を中退後、国境警備隊から陸軍入りし、23歳で待望のパイロット資格を取得し、爆撃飛行隊に所属しました。
アメリカが第二次大戦に参戦した時点で爆撃隊を指揮する空軍少佐になっていた彼は、ドイツの空爆で成果を挙げ准将、そして1944年には少将に昇進。
そして東京大空襲の2ヶ月前に、第21爆撃指令団司令官に着任しました。
前任者が推進した〝精密爆撃作戦〟がさしたる効果を挙げなかったことに業を煮やしてクビを挿げ替えた上官の期待に応えるべく、後任のルメイ少将が起案したのは〝無差別戦略爆撃〟でした。
彼は木や紙でできた日本の家屋専用の焼夷弾を開発。
更に爆撃効率を高めるために低空で飛び、迎撃を防ぐために夜間の爆撃を指示。
これらの空爆手法については、米軍内からも 「民間人攻撃は国際法違反」 とする声が上がりましたが、彼は
「日本では民間人居住地区でも軍需物資を作っているから、戦略上重要」と主張して、空爆を強行。
東京大空襲だけで少なくとも8万人以上の命を奪いました。
彼は軍事拠点となり得る鉄道網や炭田への攻撃は殆ど行っていませんから、空爆の目的が軍事拠点を叩くことではなく大量虐殺であったことは明白でしょう。
終戦後も戦略航空軍団司令官や空軍参謀総長に昇進し、ケネディ大統領にキューバ空爆を進言したり、ベトナム戦争では北爆を強行したり・・・。
よく戦争映画で、敵を殲滅することだけに血道をあげる狂気じみた司令官が登場しますが、私にはルメイそのものに見えてしまいます。
この恐るべき司令官に対し、空爆で何万人もの国民を奪われたはずの日本政府が、1964年に〝勲一等旭日大綬章〟を授与するという信じられない愚挙を犯しています。
これは表向き 「航空自衛隊創設時の戦術指導の功績」 に対し贈られたとされていますが、この叙勲を強烈に推進したのが真珠湾攻撃の作戦参謀にして特攻攻撃の考案者の1人とされる源田実氏 (当時自民党参院議員)。
実はこの2年前に彼がアメリカから勲功賞を授与されており、その返礼のためルメイを推挙したといわれています。
10万人以上の同胞を無差別に殺戮したアメリカ軍人を、自らの受勲と引き換えに我が国最高位の勲章を与える・・・これこそ〝狂気〟ではないでしょうか。
通常は直接同勲章を授与する天皇陛下が、ルメイには面会すらなさらなかったのは、当然でしょう。
そして彼は1965年に退役、その3年後にはアメリカ独立党から副大統領候補として出馬したものの落選。
こんな好戦的な軍人が当選して、シビリアン・コントロールのトップに立っていたら・・・そう思うと、ゾッとします。