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ナベちゃんの徒然草

還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

今日は、20世紀に活躍した世界で最も有名だと思われる女優の命日・没後60周年にあたります。

 

彼女の本名は、ノーマ・ジーン・ベイカー・・・これでは誰のことか、殆どの方は分からないでしょうネ。

 

身長166cm・体重53㎏。 B94・W61・H86という、抜群のプロポーションで、〝アメリカのセックス・シンボル〟と言われた、


 マリリン・モンロー

   Marilyn Monroe

その人です。

 

       

 

彼女は1926年にロサンゼルスで生まれました。

 

母子家庭に生まれ育ちましたが、母親が病気を患っていたこともあり、彼女は暫くして孤児院や里親を転々とするなど、不幸な幼少期を過ごしたようです。

 

16歳で最初の結婚をし、スカウトされてモデルとして活動を始めたものの、4年後に離婚。 

 

その後下積み時代を経て、『ナイアガラ』(1953)での〝モンロー・ウォーク〟で一躍脚光を浴び、『紳士は金髪がお好き』(1953)、『七年目の浮気』(1955)でトップスターの座を掴み取ります。

『七年目の浮気』での〝地下鉄スカート・シーン〟は、あまりにも有名です。

 

 

そして1954年にメジャーリーグのスーパー・スター、ジョー・ディマジオ(↓)と結婚。

 

 

日米野球で来日した際は彼女も同行し、大変な騒ぎになったとか。


※この時体調を崩したモンローに治療を施したのが、故・浪越徳次郎さん。(↓)

 

 

何でも全裸の彼女に指圧をしたのだとか・・・全く羨ましい限りで。😅

 

しかし前述の地下鉄スカート・シーンを観たディマジオが激怒し、それから僅か2週間後に離婚。

56年にアーサー・ミラーと再婚するも、その後精神不安定な状況に陥り、61年に離婚。

 

この頃からケネディ大統領との交際が始まったといわれています。

 

その後ディマジオとヨリを戻したものの・・・1962年8月5日、自室のベッドで受話器を手にしたまま息絶えている状態で発見され、36歳の若さで天国に旅立ったのです。

 

当初は睡眠剤の大量服用による自殺と報じられましたが、その後自室から手帳が消えていることや、大統領との交際スキャンダルなどが明るみに出たことなどから、謀殺説が根強く囁かれています。

 

個人的に最も印象に残っている彼女の映像は映画の出演シーンではありません。

 

それは、彼女が絶命する3ヶ月前、マジソン・スクウェア・ガーデンで開かれたケネディ大統領の誕生パーティーで歌う姿。

 

 

これ程艶っぽくて切ないハッピーバースディを、私は他に知りません。

 

ケネディ大統領は、モンローの歌声を聴いて、

 

「いつ死んでも悔いはない。」

 

と言ったそうです(実際翌年に暗殺されました)が、そりゃ~こんな歌をプレゼントされたら、彼でなくとも大抵の男性はそう思うでしょう。

 

金髪が眩しかったものの、本当の髪の色はブルネット(褐色)だったという彼女のミステリアスな最期・・・もしかしたら、ケネディ大統領暗殺に関する機密文書が公開される2039年には、同時に弟ロバート・ケネディとも関係があったとされる“禁断の恋” の真相も明かされるかもしれませんネ。

 

もっとも、その時まで私が生きていられるかどうか・・・?

 

 

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