副産物 | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

おそらく日本人ならば誰もが口にしたことがあり、海外旅行の際に持っていくことを推奨される食品・・・といえば、


  梅 干 し


ですょネ。 今日はその記念日なのだそうです。

 

由来は 「梅干しを食べると難(7)が去(3)る(0)」 という言い伝えの語呂合わせなんですって。

 

さてその梅干し、起源は・・・というと、そもそも梅の木は支那の湖北省・四川省の高地が原産といわれているそうな。


それが日本に渡来したのは約1,500年前、大和朝廷時代とのことですが、一方ではそれより古い縄文時代の遺跡から梅の実が出土したそうですから、あまり断言できないようです。


で、もともと梅干しは梅酢を作った後の副産物だったそうで、食用よりも漢方薬として用いられたのだとか。

またその梅酢は消毒薬の他、金属の鍍金やハンダ付け、防錆処理に用いられ、東大寺の大仏建立の際にも利用したそうです。


そして梅干しが一般的に普及したのは、鎌倉時代に入ってから。

 

禅宗の僧侶が食事に用いていたのがやがて武士たちの兵糧として広がったのだそうな。


戦国時代になると梅干しは保存食としてだけでなく、傷の消毒などにも利用されるように。


また戦の時には、唾液分泌を促進させるため食べずに見るだけ、なんてお達しも出されたそうですが、その効能を評価した武将たちは梅の植林を奨励・・・これが国内に点在する梅の名産地に繋がっているとのこと。


そして庶民に梅干しが広まったのは、江戸時代。


紫蘇で赤く着色する漬け方が開発されたのも、この頃だとか。


     ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草

 

そして明治維新後も兵士の糧食として珍重され、昭和に入ると白飯の真ん中に梅干しを置いた〝日の丸弁当〟が定番に。

私が子供の頃も、その日の丸弁当って言葉は生きてましたねェ。

でも今時の若者には、もう通用しないのかナ?

 

私の実家には、親父が植えた梅の木が一本ありました。


小・中学生の頃は、毎年初夏になると弟と二人で塀によじ登るなどして梅の実を収穫させられたものです。

 

結構細かい枝が強くて手が当たるとやたらに痛かった思い出がありますが・・・大きなザル一杯に獲れた実をオフクロが紫蘇を加えた赤い梅干しとやや黄緑がかった梅漬けにして食卓に出してくれたものです。


一口に梅干しといっても、オフクロがつけてくれた歯応えのある固いものや、紀州産の柔らかい果肉のもの、更にはカリカリ小梅、かつお風味やハチミツ漬けなど、種類は様々。


皆さんのお気に入りは、どんな梅干しでしょう?

嗚呼、考えただけで唾液が・・・。😅



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