今日のブログ・タイトルが何かすぐ分かる方は、かなりの映画ファンか格闘技に詳しい方でしょうネ。
これを英語表記にすると〝Kung-fu 〟・・・そう、カンフー。
今日は、この武術を世界に広めた俳優
ブルース・リー (李小龍)
Bruce Lee
リー(本名・李振藩)は、広東演劇の役者だった父親がアメリカ巡業中だった1940年にサンフランシスコの中華街で5人兄弟の3番目の子(次男)として生まれました。
生後3ヶ月で映画『金門女』に出演したという彼と一家は、その後香港に帰国。
8歳頃から子役として多くの映画に出演すると共に上海精武体育会香港分会で拳法を学び、香港で行われたゴールデングローブボクシング大会に腕試しで出場すると、前イギリス人チャンピオンを倒し優勝を果たします。
しかし喧嘩の日々に明け暮れる息子を心配した父親はリーに渡米を命じ、彼は所持金僅か100ドルを手にシアトルへ。
新聞配達のアルバイトで生計を立てワシントン大学哲学科に進学。
勉学に励む傍ら〝振藩國術館〟を開いて武術の指導を始めると、1966年にロングビーチ国際空手選手権大会で演武をしたフィルムがTVプロデューサーの目に止まり、TVドラマシリーズ『グリーン・ホーネット』の準主役に抜擢。
正義のヒーロー〝グリーン・ホーネット〟の助手兼運転手として、目の周辺だけを隠すマスクをつけた日系アメリカ人・カトー役を演じ、派手なアクションで人気を博しました。
これを機に、ハリウッドの俳優やプロデューサーを顧客に武術の個人指導をすると同時に映画やドラマのゲスト出演を重ね、1970年に香港の大手映画会社ショウ・ブラザーズ(邵氏兄弟有限公司)から独立したレイモンド・チョウ(鄒文懐)が設立したゴールデン・ハーベスト(嘉禾娯楽事業有限公司)と映画出演の契約を締結。
翌年に成人後初の主演映画『ドラゴン危機一発』が公開され、香港の歴代興行記録を塗り替える大ヒットとなり、彼は一躍香港のトップスターに。
しかし好事魔多し・・・香港で1973年7月20日、『死亡遊戯』で共演予定だった女優の自宅で頭痛を訴え、鎮痛剤を飲んでベッドに横になった後そのまま昏睡状態に陥り、病院に搬送されたものの死亡が確認されたのです。
まだ32歳の若さでした。
鍛え抜かれた身体の持ち主だった彼が、なぜ突然死亡してしまったのか?
また居合わせた女優がなぜすぐに救急車を呼ばずリーと不仲だったというプロジューサーのレイモンド・チョウを呼んだのか?
後にドキュメンタリーが制作された程その死には謎が付きまといますが、今以て真相は分かりません。
※彼の息子で俳優だったブランドンも28歳の時に撮影中に事故死。
私が彼の主演映画を初めて観たのは4作目の 『燃えよ!ドラゴン』、確か高校1年生の時だったと思います。
そのカッコ良さにすっかり彼のファンになった私は、『ドラゴン危機一髪』 や 『ドラゴンへの道』 などドラゴン・シリーズは全て観ましたが、どの作品も筋立てや作りは思いっきり粗雑でしたねェ。
特に 『ドラゴン 怒りの鉄拳』 なんて日本人の想定がデタラメで、観ているこっちが〝怒り〟 を覚えるような、というか呆れたシロモノでした。😠
しかし、カン・フーの腕前は本物だったようで、功名心から彼に挑んでくる武術家たちは、悉くボコボコにされてしまったのだそうです。
あらためてカンフー映画の大スター、武術の達人の冥福をお祈り致します。