長らく続く〝女子アナブーム〟ですが、その元祖は個人的にこの方だと思っています。
今日は、そのNHKの局アナから女優へと華麗なる転身を遂げた
野際 陽子 さん
の命日・七回忌にあたります。
野際さん(本名同じ)は二・二六事件が勃発する1ヶ月前の1936(昭和11)年に石川県で生まれました。
その後富山市を経て3歳の時から東京・杉並区で育ち、立教女学院中学校・高等学校から立教大学文学部英米文学科へ。
在学中は初代ミス立教に選ばれる一方でESSの英語劇セクションと劇団テアトルジュンヌに所属し英語・フランス語を得意とする才色兼備の女性でした。
※大学時代の同期には神宮のスターだった長嶋茂雄選手や俳優の高橋悦史さん、フリーアナウンサーの押阪忍さんがいます。
大学卒業後、1958年にNHKにアナウンサーとして入局。
名古屋放送局に配属され、天気予報や婦人番組を担当し、伊勢湾台風の災害報道にも携わった後、1960年東京放送局に転属。
週3本のレギュラー番組を担当しましたが、1962年に退社し広告代理店に転職。
1966年から1年間パリに留学し、帰国時には(ツイッギー来日の7ヶ月前に)ミニスカートを着用してタラップを降りたそうで、これが日本に於けるミニスカート第1号だったそうな。
そして私が初めて彼女の存在を知ったのは、1968年から5年間放送された、TBSのTVドラマ『キイハンター』でした。
毎週土曜日、『8時だョ!全員集合』 に続き午後9時から始まる同番組を楽しみにしていた私は千葉真一さんのカッコ良さに憧れていましたが、その彼と共演していた野際さんが1973年に結婚したのには驚きました。
1975年に当時の芸能人で高齢出産最高齢記録となる38歳11ヶ月で長女を出産。
そして女優として再プレークしたのが、1992年に放映されたTBSのTVドラマ 『ずっとあなたが好きだった』 。
奇怪(?)な演技で注目された佐野史郎さんを溺愛する母親役として共演した野際さんは、以降〝和装の姑〟役が定着、以後何本も同じ設定で出演されました。
1994年にハリウッド進出を熱望する千葉さんと離婚した野際さんは、その後しばらくしてから闘病生活に。
2014年に初期の肺腺癌と診断され手術したものの、翌年再発・再手術。
2016年にドラマの撮影に参加したものの、再び癌が再発。
それを周囲に隠しながら2017年5月に撮影を終えましたが、クランクアップ翌日に入院。
その後体調が回復することなく、同年6月13日に81歳でこの世を去りました。
『キイハンター』 で共演した丹波哲郎さんには妹のように可愛がられた一方、なぜか一時期注目されたお笑いピン芸人・ヒロシを番組共演後も可愛がったそうな。
彼の人気が下降しても 「ヒロシくん、ヒロシくん」 と呼び、番組スタッフにも 「うちのヒロシをよろしく」 と言って回ってくれたという心優しき姐さんだった野際さんのご冥福を、懐かしい 『キイハンター』 の動画を観つつ、あらためてお祈り致します。