亜仁丸 | ナベちゃんの徒然草

ナベちゃんの徒然草

還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

私のような昭和世代のブロ野球ファンなら、ブログタイトルを見た瞬間それが誰のことか、お分かりでしょう。

今日は、かつて阪急ブレーブスでストッパーとして活躍した

 

 アニマル・レスリー 投手
         Animal Lesley

の命日・没後10周年にあたります。

 

     

レスリー投手 [本名:ブラッドリー・ジェイ・レスリー(Bradley Jay Lesley)] は、私と同じ1958年にカリフォルニアで生まれました。

1978年のMLBドラフト1巡目(全体の9番目)でシンシナティ・レッズに指名され、1982年にメジャー昇格。

そのメジャーデビュー戦で、一ゴロのカバーに入った際に送球が遅れたチームの大先輩を怒鳴りつけて「怒り狂った野獣(アニマル)かと思った」と言われたのがきっかけで、ニックネームがアニマルに。

この頃から既に味方選手とハイタッチしたり雄叫びを上げるパフォーマンスをしており、その模様はフジテレビの名物番組『プロ野球珍プレー・好プレー大賞』でも取り上げられています。

その後1985年にミルウォーキー・ブルワーズに移籍した彼を、渡米した際に見つけて気に入ったのが他ならぬ阪急・上田監督でした。

翌1986年に阪急入りした彼は、当時助っ人として来日したメジャーリーガーとしては年俸3,000万円という破格の安さ。

それが彼のハングリー精神に火をつけたのでしょうか、いきなり19セーブを挙げる大活躍。

しかしその数字よりも、やはりファンに強烈な印象を残したのは、マウンド上というかグラウンドでの派手なバフォーマンスでした。

バッターを打ち取ったり三振を取るたびに派手なガッツボーズや相撲の手刀を切ったりと、今だったら相手チームを怒らせるような挑発的なアクションは当たり前。

一番の被害者(?)だったのは、バッテリーを組んだキャッチャーでした。

普通なら勝利した直後は握手したりハイタッチするものですが、アニマルの場合は藤田捕手をボッコボコ。

身長200cm・体重100kgの巨漢に殴られたらたまりません。

 

     

ある時は1度グラブで殴られ、マスクが外れたところに更に頭突きをされ、その後3日程は鼻が痛かったとか。

それでも藤田捕手は、その時の鼻が曲がった瞬間の写真パネルを大切に保管しているとか。

また被害者は上田監督にも及び、一度グラブで胸を叩かれて1ヶ月間痛みが取れず、バルボン通訳を介して「オレにはするな」と命令(懇願?)したといいます。

ロッカールームは風呂場でもその勢いは止まらなかったそうですが、実は彼、登板前に震えるほど気が弱かったのだそうな。

きっとそんな自分を鼓舞するために、派手なパフォーマンスをしていたんでしょうネ。

しかし翌1987年シーズンは不調に陥って僅か5セーブに留まり、同年で阪急を退団。

実勤2年足らずなのにその名前が忘れられない・・・まさに記録より記憶に残る選手でした。

引退後は同僚の福本豊選手が考えた〝亜仁丸レスリー〟という芸名でタレントに転身。

ビートたけし師匠の持ち番組に出演したり日清食品のCМに起用されるなど活躍。

 

アメリカに帰国後は少年野球の指導をしていた彼が腎不全により54歳の若さで亡くなったのは、2013年4月27日のことでした。

それでは最後に、懐かしい現役時代の活躍ぶりを動画でご覧いただきつつ、亜仁丸の冥福をお祈り致しましょう。

 

 

 

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