「父がたった今、亡くなりました。」
そんな葬儀依頼の電話がかかってきたのは午前0時を回った頃でした。
お迎えに行く病院の名前をお聞きすると、ご自宅からは遠く離れた場所。
少々不思議に思いながらも準備にとりかかり、故人様のご自宅にご遺体を安置させていただいた後、深夜の打ち合わせとなりました。
「随分と遠くの病院にご入院されていらっしゃいましたね。」
と何気なくお聞きしたところ、喪主をお務めになるご長男様の口からは予想外の答えが返ってきました。
「えぇ、私の勤務先ですから。」
そう言いながら手渡された死亡診断書の病院記入欄には、外科医であるご長男自身の署名が。
息子さんが作成したお父様の死亡診断書、私は初めて見ました。
・・・そして通夜当日。
「私ら外科医も激務ですけど、葬儀屋さんも夜討ち朝駆けで大変でしょうネ。」
早めに式場入りされたご長男様から言葉をかけられたことをキッカケに暫し雑談となったところで、私はご自宅でお会いした時からの疑問を思い切って投げかけました。
「私は今まで、『私情が入るから、医師は自分の肉親を担当しない』 とお聞きしていたんですが?」
するとご長男様は、
「いや、そんなことはないですョ。 手術だってしますし。」
へぇ、そうなんだ・・・と思っていると、またもや意外な言葉が。
「手術はまだいいんですョ。 むしろ毎日の簡単な診察の方が・・・。」
えっ、どうして? 理由が分からない私を見透かすように、
「手術は麻酔をかけますからねェ。
でも普段の診察では、注射一本打つにもオヤジはすごく痛そうな顔をして私を見るんですョ。
それを毎日見るのが辛くて・・・。」
にこやかに微笑むお父様の遺影写真をジッと見つめながら呟くように語るご長男様の心情が、私の心に痛いほど刺さりました。
そして翌日の告別式も、いよいよご出棺の時間に。
「喪主の挨拶って、何を言えばいいんですか?
短くてもいいんですょネ?」
開式前に少し困った顔をされていたご長男様でしたが、マイクを手に握ると堰を切ったように話し始めました。
「自分は医者であるが故に、容態が悪化した時はすぐにでも入院させなければと思いつつ・・・ひとたび入院させれば、もう二度と家に帰れないことも分かっていました。
そして一方では、父には出来るだけ住み慣れた自宅に居させてあげたいという息子としての心情も捨てきれず、すごく悩みました。
そして最終的に入院の判断を本人に伝えた時、父は状況を知ってか知らずか、〝分かった〟の一言だけで病院に来てくれたのです。
それから亡くなるまでの2ヶ月・・・思えばこんなに長期間、毎日父と顔をつき合わせる生活は、私が子供の時以来のことでした。
父は毎日のように 〝すまんな〟〝ありがとう〟 と言い続けてくれて・・・私は最後の最後にやっと親孝行できた・・・今はそんな気持ち・・・です。」
それまで常に沈着冷静だったご長男様が所々声を詰まらせ、涙ながらに心情を語るご挨拶に、式場内からは嗚咽が途切れることはなく・・・また喪主として挨拶をされている父親の姿を、ジ~っと見つめる小さなお子様達の真剣な眼差しが印象的でした。
私自身も数年前に父親を(葬儀屋として)自らの手で見送りましたが、その直前の数ヶ月、実家のある長野から東京の介護型マンションに引き取って2日に1度のペースで様子を見に通いました。
大学を卒業して実家を離れてから、父親と頻繁に顔を合わせたのはこの時のみ。
認知症になりながらも、行くたびに 「ありがとう」 と言ってくれたオヤジの笑顔は、忘れられません。