虐 殺 | ナベちゃんの徒然草

ナベちゃんの徒然草

還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

ロシア(軍)の極悪非道ぶりについては、過去に拙ブログで複数回ご紹介していますが、それは何も日本人に対してだけではありません。

ヨーロッパでも様々な残虐行為を働いたのですが・・・その代表例といえるのが


 カティンの森事件

これがベルリン放送によって正式に公表され、また同時に世界各国の新聞等で報道され人々の知るところとなったのが、今からちょうど80年前の今日のことでした。

 

1939年9月にナチス・ドイツが、そしてソ連が相次いでポーランド(↓)に侵攻したことで、第二次世界大戦の火ぶたが切られました。
 

そしてポーランドは両国によって分割・領有され、多くのポーランド軍人・民間人が両軍の捕虜に。

ソ連軍に投降した捕虜は強制収容所(ラーゲリ)に収容され、その数は将官12名・将校8千名を含む兵士23万人とソ連は発表。

1941年に対ドイツ戦において利害が一致したソ連とポーランドは協定を結び、ソ連国内のポーランド人捕虜は全て釈放・・・されたはずですが、ボーランド人部隊を編成したところ、その人数は捕虜になった人数の僅か1/10、将校1,800名・兵士2万7千名しか集まらず。

なぜこんなに少なかったのか?・・・それは、1940年
3月~4月にかけてソ連内務人民委員部(NKVD 後のKGB) が、(スターリンの命令により)ポーランド将兵2万名以上を虐殺し、埋めていたから。

 

兵士のあまりの少なさを不審に思ったポーランド政府から捕虜釈放を求められたスターリンは、「既に釈放済み」 とトボけていましたが、1943年2月にドイツ軍将校がカティン近くの森〝山羊の丘〟でポーランド将校の遺体が埋められているのを発見。

 

 

更に翌月同じ場所で7つの穴に何層にも重ねて遺体が埋められているのが見つかり、これをドイツが同年4月13日に〝カティンの森虐殺事件〟としてラジオで大々的に公表したのです。

    

 

ソ連はこれに反発し、ポーランド亡命政府に対し虐殺はドイツの謀略だと公表するよう迫りますが、同政府は拒否。

すると逆ギレしたソ連は、ポーランド政府に断交を通知。

 

その後もソ連は犯行を認めませんでしたが、ゴルバチョフ書記長の下でグラスチノスチ(情報公開)が進むと、1987年にソ連・ポーランド合同の調査委員会を設置。

そして1990年にNKVDの犯行を示す機密文書が発見され、同年4月13日にソ連国営タス通信が正式にスターリンの犯罪であると表明。

2008年には、ロシアのプーチン首相がポーランド大統領との会談の席上スターリンの犯罪であると言明し、2010年4月7日には慰霊碑に跪きました。(但し謝罪はせず。)

 

しかしその3日後に現地で予定されていた追悼式典に出席すべく現地に向かっていたポーランドのカチンスキ大統領が搭乗した政府専用機が空港付近の森に墜落死、大統領夫妻の他多数の政府高官が死亡する事故が起きています。

それは偶然だったのか、仕組まれた陰謀だったのか・・・。

この凄惨な事件に関しては、映画化されています。 

タイトルも、そのまま

  『カティンの森』

        

 

2007年に公開された同作の監督アンジェイ・ワイダ(1926-2016)は、父親がポーランド軍人でカティンの森虐殺の犠牲者。

80歳過ぎた同監督執念の力作は、是非一度ご覧いただきたいと思います。

それにつけても、ロシアって・・・。
うー

 

 

 


          人気ブログランキング