今日は、私の大好きな20世紀初頭・ロマン派を代表する作曲家でありピアニストでもあった
セルゲイ・ラフマニノフ
Sergei Rachmaninoff
の命日・没後80周年にあたります。
1873年、貴族の家系に生まれたラフマニノフは5歳で母親からピアノの手ほどきを受け、やがてモスクワ音楽院ピアノ科に進み、大金メダルを受賞して卒業します。
※この時、小金メダルを受けて卒業したのが作曲家・スクリャービン(↓)でした。
1892年には同音楽院作曲科も金メダルを受賞して卒業しますが、その5年後に初演された交響曲第1番が批評家に酷評され、自信喪失に陥ってしまったのだとか。
しかし精神科医ニコライ・ダーリの 「貴方は素晴らしいピアノ協奏曲を作る!」 という心理療法を受けて立ち直り、その後作曲しダーリに捧げたピアノ協奏曲第2番を自身の演奏により初演、今度は好評を博しました。
スポーツ選手だけでなく、芸術家にも心理療法は有効なんですネ。
1918年、ロシア革命を逃れて家族と共にアメリカに亡命。
その後は演奏家として精力的にコンサート活動を行い(※彼の作品は、大半がアメリカ亡命前に作曲されています)ましたが・・・急性黒色腫に侵されてしまい、1943年3月28日に米・ビバリーヒルズで70年の生涯に幕を閉じたのです。
ところで彼は身長192cmの大男で、その手の巨大さは際立っていました。
彼は右手の人差し指でド音、中指でミ音、薬指でソ音、そして小指でオクターブ高いド音を押せたばかりか、その四指を鍵盤から離さず、親指を小指の下を通してその先のミ音の鍵盤を押せたというのです! 😱
ご自宅に(電子)ピアノがある方は、是非チャレンジしてみてください。
やってみると、いかに彼の手が大きかったか実感できるはず。
しかも大きいだけでなく、クニャクニャと柔らかい(マルファン症候群ともいわれる)〝特殊な手〟を持っていた彼の作品は、とても普通の手の大きさでは弾けないような音符がゴロゴロ並ぶ難曲揃い。
例えば、(↓)は有名なピアノ協奏曲第2番の冒頭なのですが、左手の和音をこの楽譜通り弾ける人は、殆どいないはず。
オクターブを親指と人差し指で楽に押さえられる比較的大きな手の私でも、アルペジオ奏法を使わないと弾けません。
さて私の手許には、ラフマニノフが作曲したビアノ協奏曲第2・3番の自演CDが1枚だけあります。(↓)
録音は2番が1929年、3番が1940年と大変古いのですが、演奏は重厚で十分に聴かせてくれます。
今宵は、彼のタコのような手が鍵盤上を動き回る様子を想像しながら、ロマン派の香りを漂わせる名曲を楽しむつもりです。
皆さんには、我が敬愛する20世紀最高のピアニストにしてラフマニノフとも親交があったV.ホロヴィッツの演奏による超難曲・ピアノ協奏曲第3番をお聴きいただきたく・・・。