大逆転  | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

今はウィンタースポーツ真っ盛りですが、私は子供の頃から何故かジャンプ競技が好きでした。

 

スキーの盛んな長野に育ちながらジャンプだけはやったことがなく、それが逆に憧れに繫ったのかもしれません。

 

そのジャンプ競技で忘れられないのは、2つのオリンピック。

 

ひとつは1972年の札幌五輪で、笠谷・金野・青地各選手が表彰台を独占した70m級(↓)

 

そしてもうひとつが、今からちょうど四半世紀前の今日・1998(平成10)年2月17日に日本中を熱狂させた、

 

 長野五輪・ジャンプ団体


の金メダル!

 

我が郷里で開催された同大会は、開会早々から男子スピードスケート500mでの清水宏保選手やモーグル・里谷多英選手の金メダル獲得で大いに盛り上がりました。

 

そしてジャンプ競技では、ノーマルヒルで船木和喜選手が銀メダル、ラージヒルでは同選手が金と原田雅彦選手が銅を獲得。

 

上り調子の日の丸飛行隊に、いやが上にも期待が増します。

 

そして迎えた団体戦・・・残念ながら、当日の天候は吹雪。 


しかしトップバッター・岡部孝信選手、2番手・斉藤浩哉選手は大きく飛距離を伸ばし、トップに立ちます。

 

ところが3番手の原田選手は、TV画面でも彼の姿が良く見えなくなる最悪のコンディションの中でスタートし、70m台の大失敗。

 

この時多くのファンが、4年前の〝リレハンメルの悪夢〟を思い出したはず。

 

ラストの船木選手も今ひとつの出来で、1本目終了時の順位は日本4位。

 

そして迎えた、運命の2本目。 

 

開き直った岡部選手が大ジャンプに成功、2番手の斉藤選手もそれに続き、いよいよ問題(?)の原田選手。

 

私自身、野球やっていた頃はホームランか三振かの 〝一発屋〟タイプだったせいか、原田選手には人一倍親近感がありました。

 

(最初にコケたんだから、きっと今回はやってくれる筈・・・)

 

そんな根拠のない期待をしつつも、彼のジャンプを見守りましたが・・・結果は137mの大ジャンプ!

 

     原田

           原田選手の2回目

 

着地で転倒しそうな彼が踏ん張った瞬間、私は 「よっしゃあ~!」 とテレビに向かって絶叫、体中の毛穴が開くほど感動したことを今でもはっきり憶えています。

 

そして最後に全国民の期待を担って飛んだ船木選手は、当時 「世界一美しい」 といわれた飛型そのままのジャンプを披露・・・まさに大逆転での金メダル獲得でした。

 

敢えて年下の若い船木選手をしんがりに持ってきた日本チームの作戦が、見事に当たったと言えましょう。

 

長野五輪の成功を象徴する、忘れられない1日でした。
 

   長野五輪

 

後日放送されたドキュメンタリー番組で、実はこの競技が悪天候で2本目が中止になる寸前だったところを日本代表選考から外された西方選手や高橋選手がテストジャンパーとして飛び、視界殆どゼロの中で120mを越す大飛躍・・・そのおかげで競技が続行したという裏話を知り、あらためて感慨を深めたものです。

かつては日本のお家芸といわれたジャンプ競技ですが、残念ながら現在は今一つ。

長野五輪での団体・奇跡の金メダル獲得の映像を観つつ、日の丸飛行隊の復活を祈りましょう!
扇子

 



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