指南役 | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

幕末、江戸を戦火から救った幕臣・勝海舟ついては拙ブログで過去記事で書きました。(↓)

 

 

その海舟が自著 『氷川清話』 の中で、「オレは今まで天下で恐ろしいものを2人見た」と記した人物・・・1人はご存じ西郷隆盛ですが、もう1人の名を聞いてもピンっと来ない方が多いはず。


何故ならその人物の名は教科書に載っていませんから・・・それは


        しょうなん

 横井 小楠

 

今日は、歴史の表舞台には立たずとも江戸時代末期から明治維新かけて坂本龍馬ら多くの志士に影響を与えた、この傑物の命日にあたります。

           
       

 

小楠は1809(文化9)年、熊本藩藩士・横井時直の次男として現在の熊本市に生まれました。


幼少時から聡明だった彼は藩校・時習館に入校、後に同館の居寮長も務め、30歳の時には藩命により江戸へ留学、その際に藤田東湖(↓)ら多くの人材と親交を深めます。

 

 

詩文の唱和や漢文を読解するような机上の学問ではなく、実際に世の役に立つ〝実学〟を追求する小楠らのグループは〝実学党〟 と呼ばれましたが、保守的な熊本藩において彼はマイナーな存在。


しかし捨てる神あれば拾う神あり・・・彼が興した私塾(小楠堂)に学んだ福井藩士・三寺三作の紹介で1858年に藩主・松平春嶽から招聘され、福井藩の殖産発展に貢献。

 

そして1862年に春嶽が復権して幕府の政事総裁職に就任するや、彼をブレーンとして中央政界に引き入れます。

 

その2年後に熊本に帰藩した小楠を坂本龍馬が訪ね教えを乞いましたが、小楠が春嶽に宛てた(富国強兵・士道を説いた) 『国是三論』 や、幕府に提出した(参勤交代廃止や広い人材の登用・海軍創設等を説いた) 『国是七条』 、更にそれをベースにした 『国是銃十二条』 は、後に彼が起草した 『船中八策』 の下地になっているばかりか、明治天皇が発布した 『五箇条の御誓文』(↓) にもその思想が反映されているのです。

 

 

まさしく幕末に活躍した志士や明治政府の指南役たる存在でした。
 

彼の思想に舌を巻いたからこそ、冒頭の勝海舟は 「小楠の思想と西郷の実行力が組み合わさったら、必ず幕府は倒される」 と恐れたのでしょう。


       

                       『横井小楠』 (徳永 洋・著 新潮新書・刊)

 

しかし富国強兵や諸外国との積極的な交易を通じて産業の振興を図ろうとする時代を先取りした彼の思想は、凡庸な人々には理解できなかったようです。


大政奉還後再び新政府からお呼びのかかった彼は、今から153年前の今日・1869(明治2)年2月15日に 「日本をキリスト教化している」 と思い込んだ十津川藩士ら4名 (※バックには旧守派の公卿ら) に京都で襲撃され、59歳で暗殺されてしまいます。
(犯人は翌年全員処刑。)


いつの世であっても、時代を先取りし過ぎた者の運命は過酷ですネ。

 

酒で失敗して蟄居させられるなど実に人間臭い部分もあり何となく親しみが持てる、激動期の日本を生きた思想家のご冥福をお祈り致します。笑3



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