硬骨漢 | ナベちゃんの徒然草

ナベちゃんの徒然草

還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

今日は、日本映画史にその名を残す名監督の1人、

 

 深作 欣二  監督

 

の命日・没後20周年にあたります。

 

     ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-深作 欣二


1930(昭和5)年に茨城県水戸市に生まれた深作監督は、大東亜戦争時に艦砲射撃を受けて吹き飛んだ遺体を拾わされたり終戦直後に闇市をうろつくなど、多感な少年期に凄惨な経験をしました。


そしてその頃映画漬けになった深作少年は、水戸第一高校から日大芸術学部へ・・・卒業後、1953年に東映入社。


東京撮影所でしばらく助監督を務めた後、1961年に 『風来坊探偵・赤い谷の惨劇』 で監督デビュー。


(※この作品で主役に抜擢された千葉真一さんとは、その後生涯を通じて師弟・盟友関係となります。)


そして1970年、日米合作大作 『トラ・トラ・トラ!』 の日本側監督を黒澤明監督降板を受けて舛田利雄監督と共同で務めた後、1973年から2年間に渡りシリーズ化されたヤクザ映画 『仁義なき戦い』 の大ヒットで、監督としての名声を確立。

   


当時の私はまだ中学生でしたので入れませんでしたが、映画館から出てくるオッサンやおアニィさん達が肩で風を切って歩いていたことを憶えています。

 

この人気シリーズを世に出す前も任侠・ギャング映画を撮っていた深作氏・・・北野武監督同様(?)に作風が暴力的ですが、それは少年時代の戦争体験から、「暴力を描くことで暴力を否定する」 という明確な信念があってのことだったそうな。

 

その後、私にとって最も印象深い 『柳生一族の陰謀』 (1978年) や 『復活の日』 (1980年)など、幅広いジャンルで製作を重ねました。

 

若い方には 『バトルロワイヤル』 の監督といえば、通りがいいかもしれません。

 

ヤクザ映画を撮影するくらいですから、撮影現場は「ヤレ~!」、「死ねェ~!」 と声が飛び交う程エネルギッシュ。

 

しかも深夜まで撮影が長引いても連日俳優やスタッフを連れて朝まで飲み歩いたそうで、関係者からは「深作組は〝深夜作業組〟」 といわれ、恐れられていたとか。😨

 

室田日出男さん、川谷拓三さんらを 〝悪役商会〟 と銘打って売り出すなど、様々な形で映画界に貢献した深作監督が前立腺がんの転移で72歳の生涯を閉じたのは、2003(平成15)年1月12日のことでした。

 

「男性機能が低下する」 と抗がん剤投与を拒否しての最期・・・いかにも硬骨漢・深作監督らしい、といえましょうか。

 

『キイハンター』、『Gメン’75』、『必殺仕掛人』 等々TVドラマの監督としても活躍し、周囲から〝サクさん〟と呼ばれ敬愛された名監督のご冥福をお祈り致します。笑3


            人気ブログランキング