重 圧 | ナベちゃんの徒然草

ナベちゃんの徒然草

還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

日本のマラソン・ブームは、おそらくこの選手の活躍がキッカケだっと思います。

1964(昭和39)年の東京五輪で見事銅メダルを獲得した


 円谷 幸吉 選手  

 

今日は、彼の命日・没後55周年にあたります。

     

円谷選手は1940(昭和15)年に現在の福島県須賀川市に生まれました。

 

1959年に地元・須賀川高等学校から陸上自衛隊に入隊した円谷選手は、それまで目立った成績を残していない平凡な長距離走者だったそうです。

 

しかし織田幹雄・陸連強化本部長の勧めによりマラソン競技に転向してから頭角を現し、遂には東京オリンピックの代表選手に。

 

アベベ選手が五輪2連覇を達成した後、2位で国立競技場に入ってきた円谷選手と後を追ってきた英・ヒートリー選手のデッドヒートは、今でも語り草となっている名場面でした。

 

     

※レースの動画は、こちら。(↓)   

 

 

惜しくもゴール直前で抜かれて3位になりましたが、円谷選手には次のメキシコ五輪での金メダルの期待がかけられました。

 

しかし円谷選手には、その後次々と不運が・・・。

 

自衛隊体育学校の方針が変わったことで十分な練習ができなくなり、それを補うために無理を重ねた結果ケガや腰痛の悪化に見舞われます。

 

更に以前から交際していた女性との結婚を、体育学校の校長から 「次のオリンピックの方が大事」 という理由で延期させられ、更には交際も禁止に。

※因みにこの校長は、別のレスリング選手の結婚にも反対し邪魔したそうな。

現代の若者には、考えられないことでしょう。

そしてこの件に関して校長に抗議した畠野コーチが逆に転勤を言い渡され、円谷選手は孤立無援の状態に。

東京五輪で8位と入賞を逃し引退まで考えたものの結婚して心機一転、メキシコ五輪で銀メダルを獲得した君原健二選手とは、あまりに対照的。

 

1967年の暮れに嘗てのフィアンセが須賀川市内の商家に嫁いだことを、正月に帰省した円谷選手は耳にしたようです。

 

それまで正月を過ごした実家から帰京する時は、兄の車に伴走してもらい国道4号線を走っていた彼・・・いつもは数時間平気で走っていたのに、この年だけはほんの10分もしないうちに 「もう走れない」 と言って車に乗り込んで走るのを止めてしまったのだとか。

 

それから数日後、メキシコ五輪開幕を10ヶ月後に控えた1968(昭和43)年1月9日、彼は官舎の自室で頸動脈を切り自らの命を絶ってしまったのです。

 

首に東京五輪で獲得した銅メダルを下げて・・・と、ここまでは今まで語られていた定説なのですが、2019年に出版された

  『円谷幸吉 命の手紙』 

                      (松下茂典・著 文藝春秋社・刊)

   

によると、結婚に反対した校長はその日のうちに翻意し、賛成に回ったとのこと。

また婚儀の予定まで決まっていたのに女性側からの申し入れで破談になった後、ケガをした円谷選手の付添をしていた別の女性と親密な関係になり、半同棲状態だったとか。

だとすれば、なぜ彼は自殺してしまったのか?

やはり思うようなタイムを出せないことで、生前

「メキシコ五輪で日の丸を揚げるのは国民との約束なんだ」

とライバル・君原選手に語ったという彼が、期待に応えられないという重圧に押し潰されてしまったのか?

本人が語れない以上、その謎は永遠に解けそうにありません。

以下に彼が残した遺書をご紹介しますが、文面から伝わってくるその純粋さと無念さに、何度読んでも胸が締めつけられます。

 

 父上様 母上様 三日とろろ美味しうございました、
 干し柿、もちも美味しうございました、

 敏雄兄、姉上様、おすし美味しうございました。
 勝美兄姉上様、ぶどう酒、リンゴ美味しうございました。
 巌兄姉上様、しそめし、南ばんづけ美味しうございました。
 喜久造兄姉上様、ぶどう液、養命酒美味しうございました。
 又いつも洗濯ありがとうございました。


 幸造兄姉上様、往復車に便乗させて戴き有難うございました。
 モンゴいか美味しうございました。
 正男兄姉上様、お気を煩わして大変申し訳ありませんでした。


 幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介

 君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、

 彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、

 真嗣君、


 立派な人になって下さい。

 父上様母上様、幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって

 走れませy  何卒 お許し下さい。
 
 気が休まる事なく、御苦労、御心配をお掛け致し申し訳

 ありません 幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。

 校長先生、済みません。
 高長課長、何もなし得ませんでした。
 宮下教官、御厄介お掛け通しで済みません。
 企画課長、お約束守れず相済みません。

 メキシコオリンピックの御成功を祈り上げます。

 

 一九六八・一


嗚呼・・・これ程までに感謝と謝罪の言葉を連ねた辞世の文が、他にあるでしょうか。

※この遺書を絶賛した川端康成・三島由紀夫両氏が、その数年後に自殺したのは、何とも皮肉ですが・・・・。

 

もしかしたら 〝時代〟が生真面目な彼の命を奪ってしまったのかもしれません。

 

27歳の若さで生涯を閉じた孤高のマラソン・ランナーのご冥福を、あらためてお祈り致します。

 

 

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