江戸時代末期に開国した日本は、明治維新以降諸外国に対抗するべく富国強兵を目指し、そのためには〝国民皆兵〟が必要・・・と、新政府は考えました。
特に大村益次郎が強くそれを主張していましたが、これを導入するとそれまでの身分制度が崩れ四民平等となることに武士層が抵抗。
1869(明治2)年に大村が暗殺されてから、同構想は一時頓挫。
しかし彼の遺志を引き継いだ山縣有朋がその翌年に徴兵規則を制定し、山城屋事件で山縣が辞職に追い込まれた後も西郷隆盛がその構想を継承。
1872年11月に徴兵告諭が出され、そして今からちょうど150年前の今日・1873(明治5)年1月10日に
徴 兵 令
が施行されました。
同令では、満20歳の男子から抽選で3年の兵役(常備軍)とすること、そして兵役終了後は予備役となるよう定められました。
また体格が基準に達しない者や病人は除かれ、また一家の主人たる者や家督を継ぐ者、嗣子並に承祖の孫(承継者)、更には代人料を支払った者(当初は270円、1879年には400円=現在の貨幣価値で80万円前後へ引き上げ)、官省府県の役人・兵学寮生徒・官立学校生徒、養家に住む養子は徴兵免除とされたそうな。
そのため、徴兵を逃れるため養子になるなど徴兵忌避者が続出し、徴兵免除のマニュアル本まで出版される始末。😨
また徴兵告諭に〝血税〟と書かれていたことから、徴兵されると血を抜かれると本気で思った人も多く、各地で徴兵令反対の〝血税一揆〟も起きたとか。
こんな状況でしたから、国民皆兵を旗印にしたものの結局は20歳以上の男子3~4%しか徴兵できませんでした。
しかし徐々に軍隊で支給される食事が良質で酒も飲める、という待遇の良さが浸透。
更に農民からすれば、たとえ殴られても毎日の農作業より体は楽で、しかも毎日白米を食べられて風呂にも入れ布団で寝られることから、不況時には兵役が生きる手段として考えられるように。
アメリカでも不景気になると志願兵が増えるそうですから、洋の東西を問わず人間の考えることは同じなんですネ。
その後徴兵制度は政情の変化と共に徴兵免除の範囲が縮小・廃止され、1889(明治22)年の大改正によりほぼ国民皆兵制に。
そして同制度は1945年の敗戦と同時に廃止となりました。
さて徴兵制といえば、7年程前に安保法制の改定がなされた際に野党や左翼メディアが 「徴兵制が復活する」 と盛んに煽って改正に反対しました。
それを真に受けた若者もいたと思いますが、その心配は無用です。
大東亜戦争以前のように、兵士が鉄砲を持って 「うわ~っ」 と気勢を上げて敵に突進・玉砕・・・なんて人海戦術は、近代戦では有り得ません。
ミサイルなど非常に高度な操作技術を要するハイテク兵器が主力ですから、ズブの素人を徴兵しても実戦では殆ど役立たず。
それにここ数年の自衛官候補生採用試験倍率は約5倍、一般曹候補生採用試験倍率は約15倍前後・・・入隊すること自体大変なのです。
良し悪しは別にして、自衛隊もこんなポスター作って募集していますから、狭き門になるのも頷けますが・・・。
そしてその安保法制が論議になった際、一部の野党議員が 「日本はスイスのような永世中立国を目指すべき」 と発言していましたが、それこそ不勉強を露呈したようなもの。
確かに同国は永世中立国ですが、同時に国民皆兵を国是として徴兵制を採用しており、20~30歳の男子には兵役を課しているのです。(※女性は任意)
現在スイス国軍は約4,000人の職業軍人と約21万人の予備役兵を保有し、軍事基地が岩盤をくり抜いた地下に建設され、侵略に備えて国境地域の橋やトンネルには速やかに国境を封鎖すべく解体用の爆薬が設置されており、常に緊張状態を維持しているのです。
そのスイスでも、3年前に「他国からの脅威はなく、金の無駄遣いだ」という反対意見を受け、徴兵制廃止を問う国民投票が行われましたが、圧倒的多数で廃止は否決されました。
これがスイス国民の防衛意識なのです。
翻って、日本はどうか?
「戦後70年以上平和だったのは、憲法9条があったからだ」
と大真面目に考えている人も少なからずいるようですが、そういう方はスイスに行って同じ主張をしてみるといいでしょう。
鼻で笑われるか、相手にされないのがオチでしょうけど・・・。
そんな〝お花畑の住人〟を減らすためにも、私は高校生を1ヶ月程度自衛隊に体験入隊させるべきだと思いますけどネ。