【特別増刊】 乱 入 | ナベちゃんの徒然草

ナベちゃんの徒然草

還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

皆さんは、今から73年前の今日・・・終戦後間もない1949(昭和24)年6月30日に起きた

 

  たいら
 平 事 件

 

をご存じでしょうか?

同年4月に、日本共産党福島県石城地区委員会が横2.4m×縦1.8mという大型の宣伝用掲示板を設置すべく、平市警察に道路一時使用許可を申請。

警察側は一旦許可したものの、予想外に人が集まり交通に支障をきたしたため、6月25日に許可の取り消しを、更に6月30日午後4時までに撤去するよう通告したところ、これを「政治活動に対する弾圧だ」として共産党が反発。

6月30日午後3時半頃、共産党員と在日本朝鮮人連盟所属の朝鮮人約300名がトラックに乗るなどして平警察署に押しかけます。

署長は代表者との話し合いに応じたものの、彼らはそれで収まらず、労働歌〝インターナショナル〟を歌いながら署内に乱入。

署員に殴る蹴るの暴行を加えてガラスを次々と割り、約80名が所長室に乱入。(↓)

    

 

更に留置場にも侵入し、拘留されていた被疑者らを解放して逆に警察官を閉じ込めるという乱暴狼藉ぶり。

 

その上署長の辞任を要求するなどしましたが、午後11時頃に警察の応援部隊が来るという情報がもたらされ、彼らは現場から逃走。
(数日後には駐在所が襲撃され、駐在警官が自殺しています。)

その後平市警察署は捜査本部を設置。

 

県警から約700名の警官の応援を得て231人を騒擾(そうじょう)罪【※1995年から騒乱罪に改称】の容疑で逮捕し、159人を起訴。

最高裁まで争われた結果、有罪が確定しました。

拙ブログでこの事件を取り上げたのは、まず共産党と朝鮮人が密接に繋がっており、彼らが騒乱罪で摘発される犯行を繰り返してきた歴史があることを知っていただきたいから。

騒乱罪が適用された案件としては、1952年に起きた 『血のメーデー事件』・『大須事件』・『吹田事件』 がありますが、そのいずれにも彼らが絡んでいます。


 ※日本共産党の歴史については、こちらの過去記事を参照。(↓)



(↑)に書いた通り、日本共産党は今からちょうど100年前の1922(大正11)年に設立されましたが、その当初から朝鮮の独立を綱領に掲げており、1930年代から日本在住の朝鮮人共産主義者は続々と日本共産党に所属。


同党系労働組合の全協(日本労働組合全国協議会)は、最盛時の1931(昭和6)年時点で組合員3万人の内3割が朝鮮人だったとか。

その蜜月関係は、1955(昭和30)年1月に在日朝鮮人との連携解消を宣言したことで終わりを告げました・・・が、同党はこういった過去の暴力事件に関して一切口をつぐんだまま。

そのくせ、現在に至るも暴力革命を目指していることに変わりはありません。

だから同党は公安調査庁の調査対象団体になっているのです。

かつて日本を震撼させ混乱を引き起こした共産党と在日朝鮮人が依然として我が国に存在していることを、私たちはしっかりと認識すべきです。

 

 

               人気ブログランキング