今から46年前の今日・1976(昭和51)年7月17日、
第21回夏季オリンピック・モントリオール大会
が開幕しました。
このシンボルマークをご記憶の昭和世代の方も、少なからずいらっしゃるでしょう。
男子体操団体5連覇や女子バレー、そしてお家芸のレスリングや柔道で金メダルを獲得したものの、総数は9個・・・日本にとってはいまひとつ不振の大会でした。
ただ当時〝政界のサラブレッド〟といわれていた麻生太郎・現自民党副総裁 (当時35歳)がクレー射撃の日本代表として出場したことで話題になりましたが。
個人的にも、この大会開催中に受験勉強の夏期講習で上京していて宿舎のテレビで夜遅くニュースで観た程度ですので、あまり記憶には残っていません。
さて、そんなモントリオール五輪・・・実はオリンピックの歴史の中で大きな転機となる大会だったのです。
その一つは、IOCがそれまで頑なに守っていたアマチュア規制枠を1974年に撤廃し、プロ選手参加を認めてから初の大会だったこと。
※但し実際にブロ選手が参加したのは、この大会ではありませんでしたが・・・。(↓)
もうひとつは、この大会開催によりモントリオール市が莫大な赤字を抱えたこと。
同市は大会開催後何十年も借金返済に苦しむことになったのです。
メイン・スタジアムは日本の新国立競技場に似ていますが、当初は屋根が塞がるドーム形式になるはずでした。
それが資金不足で工事が遅れたことから屋根の完成を断念。
結局中途半端にくり抜かれた形でスタートせざるを得なくなった由。
※同スタジアムは、その後一時期メジャーリーグのモントリオール・エクスポスの本拠地として改造・使用されていましたが、同チームがワシントン・ナショナルズとなって移転してしまい、現在は空き家状態だとか。
「オリンピックは、カネがかかる。」
この現実をつきつけられたことで、その後多くの国や都市がオリンピック招致に尻込みするようになったのです。
しかしそこに救世主が現れました。
それは、多くの西側諸国がボイコットした1980年モスクワ五輪を挟んで1984年ロス五輪の大会委員長に抜擢された、ピーター・ユベロス氏。
一代にして全米有数の旅行会社を育て上げた敏腕実業家の彼が、一気にオリンピックの黒字化に成功したのです。(↓)
当時のモントリオール市長、さぞ羨んだことでしょうネ。
とは言え、オリンピック開催には政治的背景も含め多くの問題があることには変わりなし。
今後どうなって行くのか?・・・少なくとも私が生きている間は開催し続けて欲しいと思いますげとネ。😅