プロ野球の世界で、最も有名な球団オーナーは誰か?・・・と聞かれたら、私は真っ先にこの人物の名前が頭に浮かびます。
ジョージ・マイケル・スタインブレナー3世
George Michael Steinbrenner III
今日は、37年間にわたってメジャーリーグの名門ニューヨーク ・ヤンキースのトップとして君臨した、この名物オーナーの命日・・・日本流にいうなら、十三回忌にあたります。
スタインブレナーは1930年オハイオ州生まれ。
家業の造船会社経営を引き継ぎ巨万の富を得た彼は、1973年1月・・・42歳の時に、3大ネットワークのひとつ・CBSから1,000万$でヤンキースを買収し、オーナーとなります。
今では信じられないことですが、当時のヤンキースは弱小球団で人気も低迷。
スタンドはガラガラで、昔の栄光など微塵も感じられなかったとか。
「私はビジネスマンだ」 が口癖だった彼は、翌年からスタートしたFA(フリー・エージェント)制度を活用し、キャットフィッシュ・ハンター、
レジー・ジャンソン、デーブ・ウィンフィールドなどの有望選手を超高額契約で獲得。
1977・78年にワールド・シリーズを連覇し、名門ヤンキースを見事復活に導いたのです。
しかし思い通りだったのは、ここまで・・・・以降1995年まで20年近く、ワールド・シリーズはおろか地区優勝すらできない長い低迷期に突入。
スタインブレナー自身もウィンフィールドのトレードに関する不正行為により2年間のオーナー資格停止処分まで食らう始末。
その謹慎期間中にチームが若手の育成に力を入れた結果、D・ジーター、M・リベラらが台頭。
1996年および1998~2000年のワールドシリーズ3連覇に大きく貢献したことは、あまりにも皮肉です。
また彼は監督をよく取り替えることでも有名でした。
1996年からJ・トーリ監督が12年に渡り長期政権となる前まで、オーナーとなった1973年から23年間でなんと延べ18人。
そのうち恰好の喧嘩相手として知られたビリー・マーチンなどは、5回も就任・解雇の繰り返し。
B・マーチン(左)とスタインブレナー
21世紀に入ると再び札束攻勢で選手を集め続けましたが、そのプレッシャーに負けたのか殆どの選手が長期にわたって活躍することはなく・・・結局彼がオーナーを辞任した2008年までワールドシリーズ制覇はなりませんでした。
2010年7月13日、心臓発作により80歳で天に召されましたが、その前年に新しいヤンキースタジアムが完成し、同時にワールドシリーズを制覇したことは、彼にとって最も幸福な瞬間だったかもしれません。
そのワールドシリーズで松井秀喜選手がMVPを獲得したことも、私にとっては忘れえぬ感動の瞬間でしたが・・・。
ランチの注文を間違えた秘書をその場で解雇したという超短気な我儘オーナーと世間では批判されましたが、一方で喧嘩相手だったマーチン監督とは意外と仲が良く、彼が交通事故死した時には悲痛なメッセージを送ったり、またあるコーチの奥さんがガンで危篤状態に陥った時はコーチをすぐ帰宅させ、その後必要なお金を提供したというエヒソードも。
彼を慕う選手も多かったそうですから、人情家の一面もあったのでしょう。
ただ、「人間が呼吸の次に大事なのは勝つこと」 と公言していたように、あくなき勝利への執着心が激しく表に出過ぎていたのかもしれません。
名門チームを復活させた一方、選手の年俸やTV放映権料の高騰を招いた彼の球団経営手法は、功罪相半ばといったところでしょうか。
野球ファンの1人として、剛腕オーナーのご冥福をお祈り致します。
ところで、日本でも彼と似たタイプの某球団社長が幅を利かせていましたが、スタインブレナーほど選手やファンに人気がなかったのは、なぜ? 😅