髭眼鏡 | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

さて今日は、昭和時代の日本人音楽家としてはおそらく最も多くの人にその名を知られた方であろう

 

 山本 直純 さん

 

の命日・没後20周年にあたります。
 

独特な髭と大きなメガネがトレードマークでしたネ。

       

 

山本さんは1932(昭和7)年、作曲家・山本直忠さんとピアニスト・浪江さんの長男として東京・五反田で生まれました。

そして自由学園~東京藝術大学へと進学、作曲・指揮を学びます。

 

その頃の同窓には、小澤征爾・岩城宏之・尾高忠明など、日本のクラシック界を代表する錚々たる指揮者たちがいました。

※齋藤秀雄氏に師事した小澤さんが最初に指揮法を習ったのは、やはり齋藤氏の弟子だった3つ年上の山本さんからだったそうです。

 

学生時代、山本さんは小澤さんに

 

「自分は音楽の底辺を広げる。 お前は世界を目指せ!」

 

と言ったのだそうですが、その言葉通り山本さんは大学在席時からTV・映画に進出し、クラシックだけでなくポピュラー音楽の作曲活動にも取り組みました。

 

    
    
 『山本直純と小澤征爾』 (柴田克彦・著 朝日新聞出版・刊)

 

小澤征爾さんと共に新日本フィルハーモニー交響楽団を結成する一方、作曲においては映画 『男はつらいよ』、大河ドラマ 『武田信玄』 ・ 『風と雲と虹と』 、バラエティー番組では 『8時だョ!全員集合』、童謡 『1年生になったら』 、更には 『自民党々歌』 等々・・・普段私たちが何気なく聴いていた多くの音楽を手がけています。

また60歳以上の方なら、「大きい事はイイ事だ」というTVCMの見覚えがあるはず。

 

 

そして私が最も山本さんの姿を目にしたのは、1972~83年まで放映されたTV番組 〝オーケストラがやってきた〟 でした。

 

毎週放送されたこの番組で、彼は楽しそうに飛び跳ねながらオーケストラを指揮するなど、とかく堅苦しいイメージの強いクラシック音楽を、気軽に聴けるように様々な工夫を凝らしていましたネ。
 

 

小澤さんに言った通り、音楽の底辺拡大に尽力した山本さんでしたが、2002(平成14)年6月18日に風呂場で倒れ、69歳で突然この世を去られました。 

 

今頃は天国で親友の岩城宏之さんと、音楽談義に花を咲かせている・・・いや、あのチョコレートのCMのように、雲の上で飛び跳ねながら指揮棒を振っているのかも? 

世界的指揮者の小澤さんをして

「僕はいつも彼の陰にいました。 でも対抗心なんて全くなかった。
彼の方が圧倒的に上だったんです。」

と言わしめた天才音楽家のご冥福を、あらためてお祈り致します。

 

 

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