献 氷 | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

少し時期としては早いような気もしますが、今日・6月1日は


 氷 の 日


なのだそうです。

 

これは江戸時代、毎年(旧暦の)6月1日に加賀藩が氷室に保管していた氷を将軍家に献上したことに因んで制定されたとか。


(現在でも金沢の氷室神社では5月1日に氷室祭が行われ、全国の製氷業者や販売業者が参列、また金沢市内では旧暦の6月1日に当たる7月1日に金沢名物・氷室饅頭を食べる風習が残っているそうな。)


時の権力者に対し、冬期間に保管した氷を夏季に献上する 〝賜氷〟 は、唐から奈良時代の日本に伝えられていたとのこと。


一旦鎌倉時代頃に途絶えたものの、江戸時代には〝賜氷の節句〟として復活。


江戸の年中行事・風物詩を記した 『東都歳時記』 には

 

「6月1日(朔日) 加州候御屋敷に氷室ありて、今日氷献上あり。

 町衆にても旧年寒氷をもって製したる餅を食してこれに比らふ。」

 

と記されていることから、この氷献上は江戸の風物詩になっていたことが伺えます。


しかし冷蔵庫も鉄道もない江戸時代に、金沢から東京まで500㎞余りの距離をどうやって氷を溶かさずに運べたのでしょう?


     ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草
          
湯涌温泉にある氷室小屋

 

毎年1月に氷室に保管された氷60㎏は献上のため5月下旬に切り出され、筵で覆い白い布で巻かれ、2重の熊笹を入れた約40㎏の桐箱に収められます。

 

この100㎏にも及ぶ大荷物を、4人一組の飛脚2組・計8人のスペシャル・チームで運んだそうな。

 

当時は金沢~江戸の飛脚便が10日だったところを4~5日で運んだそうですから、超強行軍。

 

   

 

3代将軍家光から14代将軍家茂の時代まで毎年行われたというこの氷献上は、ある意味加賀藩の徳川家に対する忠誠の証しだったでしょうから、飛脚達にとっては命がけの仕事だったはず。

 

最短距離を探し出し、裏道・けもの道も通ったであろう彼らが江戸に到着した時、当初60㎏だった氷は僅か600gになっていたとか。


当時から地球温暖化が始まっていたら、全部溶けていたかも?😅


でも量なんて関係なかったんでしょうネ。
氷が届けられた・・・この事実こそが大事だったはずですから。

 

しかし不思議なことに、加賀藩にはこの氷献上に関する具体的なルート等を記した藩政資料はないのだそうです。

 

氷献上のノウハウは、万が一にも陰謀や襲撃などで届けられぬことなど許されなかった加賀藩にとって、絶対に漏れてはならぬトップ・シークレットだったのかもしれません。

 

今年の夏にかき氷やアイスクリームを食べる時は、命がけで氷を運んだ飛脚たちの苦労に想いを馳せようではありませんか。🍧



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