私が大学4年生で1ヶ月後には社会人になる、という時でした。
新聞各紙に人民服を着た男女の写真が居住地や本人の記憶する情報と共にずらっと掲載されたのは。
それは今からちょうど40年前の今日・1981(昭和56)年3月2日、肉親捜しのために厚生省の招待で初めて公式に来日した
中国残留日本人孤児
47名のものでした。
(拙ブログでは通常隣国を〝支那〟と表記していますが、今回は既に上記単語が一般的に定着しているため、便宜上〝中国〟とします。)
中国残留日本人孤児(あるいは中国残留邦人)とは、1945(昭和20)年当時中国の東北地方(旧満州地区)に開拓団として居住していた多くの日本人が、同年8月9日にソ連が日ソ不可侵条約を一方的に破棄し同地域に侵攻してきて以降、様々な事情で肉親と離れ離れになって日本に帰国できぬまま同地で中国人養父母によって育てられるなどした孤児や、現地の中国人男性と結婚した日本人女性のこと。
彼らは日本人であるが故に様々な差別に苦しんだそうですが、1972(昭和47)年に田中角栄首相が訪中して日中国交正常化がなされたことで、1980年には子供と行き別れた両親が訪中できるように。
その翌年、ようやく残留孤児が肉親捜しのために来日したのです。
行き別れた当時の所持品や記憶を頼りに新聞等に情報が開示され、それを元に 「我が子ではないか?」 と名乗り出る人が続々と東京へ。
そして幸い両親との再会を果たした方が多数出ました。
しかし全ての孤児が肉親と会えたわけではなく、47名の内身元が判明したのは約半数の26名。
残りの21名は失意のうちに離日しました。
しかし日本語が全く喋れない彼らが必死に肉親を捜す姿がテレビを通じて流されると、この残留孤児問題の関心は高まり、以後厚生省は毎年肉親捜しを実施。
以来現在まで身元調査を行った残留孤児は2,818名。
その内で身元が判明したのは、約45%の1,284名。
(※双方とも、2016年1月末現在)
厚労省では彼らに対し一時帰国・永住帰国・定着自立の各援護を行なっており、永住帰国した中国在留邦人は孤児・婦人を含め約6,700名。
家族を含めると約20,000人が日本で暮らしています。
しかし彼らは来日時日本語が全く話せず生活環境も違うため、実際には多くの在留邦人が家族を含め国の補助金やボランティア組織の寄付金で暮らしているのが現状。
更に私たち日本人にとって身近な問題となっているのが、〝怒羅権 (ドラゴン)〟の存在。
これは、日本に定住した中国残留孤児の2世・3世がマフィア化した半グレ・犯罪集団。
過去には暴力団組員を殺害したメンバーもおり、その凶悪さは想像以上のもの。
警察が押収した怒羅権の押収品
いわゆる中国人マフィアなら逮捕すれば本国に強制送還できますが、彼らは日本国籍を取得しているためにそれが出来ず、警察も手を焼いているとのこと。
戦後70年以上を経過した現在でも、その傷跡は癒えるどころかますます拡大・・・敗戦の代償は、限りなく高くついているのです。