逃避行 | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

今でも厳しい報道管制が敷かれ、内情が詳しく伝わってこない支那ですが、その秘密主義国家の近代史に於いても最大のミステリーといわれている


  りんぴょう

 林彪事件

 

が起きたのは、今からちょうど50年前の今日・1971(昭和46)年9月13日のことでした。 

 

事件の主役・林彪は、日中戦争・国共内戦で毛沢東の片腕として活躍し、1966年には中国共産党唯一人の副主席となり、翌年の共産党大会において毛沢東の後継者に認定された人物。

 

自らの腹心も何人か政治局員に選出され、地盤を固めました。

 

    

            毛沢東               林 彪

しかし空席となっていた国家主席のポスト廃止に反対したことで、彼は毛沢東から野心を疑われることに。

 

更にはソ連と対立を深める一方でアメリカに接近を試みる毛沢東に対し、林彪はあくまでもアメリカ敵視の姿勢を崩さなかったことで、毛沢東は林彪一派の粛清を開始。

これに対抗すべく、林彪の息子で空軍作戦部副部長だった林立果が中心となって毛沢東の暗殺計画を立案。

 

地方視察中の毛沢東が乗った列車を爆破しクーデターを起こす 『五七一工程紀要』 を作成します。


そして公然と自分を批判するようになった毛沢東の暗殺を決意した林彪は、1971年9月8日に爆殺計画を実行に移そうとします。

 

ところが暗殺計画が毛沢東側に漏れてしまい、彼は鉄道路線を変えて爆破・暗殺は未遂に。

驚くべきは、この暗殺計画を周恩来に密告したのが林彪の娘・林立衡(1944-)だったこと。

実の父をなぜ売ったのか?

彼女も文化大革命の影響を受け、毛沢東を裏切るものはたとえ肉親であっても許すまじと思った・・・と言われますが、もしそうだとすれば思想教育・洗脳の怖さを思い知らされます。

9月12日に暗殺が未遂に終わったことを知った林彪は、夫人・葉群、息子・林立果、それに側近を伴って人民解放軍所有のイギリス製旅客機で河北省の空軍基地から亡命先のソ連に向けて13日深夜に強行離陸。

 

しかしその飛行機は、モンゴル人民共和国国内に墜落。

林彪らバイロット・乗員の総勢9名全員の死亡がソ連によって確認されました。 

 

    
                   墜落現場

 

墜落原因については

 

 ①燃料切れ ②機内での発砲 ③ソ連による撃墜説

 

が囁かれましたが、墜落現場には広範囲にわたって火災が発生していることから燃料は十分搭載されていたことが判明しており、また検証の結果機体および遺体からは弾痕や爆撃の痕跡は見つかりませんでした。


おそらくレーダーをかいくぐろうと低空飛行していた際の操縦ミス・・・と思われますが、それでも偶然にしては出来過ぎというか疑問は残ります。

 

当然の如く、このクーデター未遂及び墜落事故に関して支那は1年近く公表しませんでした。

 

※暗殺計画に関与した空軍幹部3人もヘリで逃亡を試みたが阻止され、うち2人が拳銃で自殺。


また元帥だった林彪の部下で、四大金剛〟と呼ばれた総参謀長以下4人の将官は、計画自体を知らなかった可能性が指摘されているものの全員が身柄を拘束され、反革命集団として懲役16~18年と党籍・公民権の剥奪処分を受けました。

 

何故林彪は当時中国と犬猿の仲だったソ連に亡命を企てたのか? 

 

また、なぜソ連が遺体の確認をしたのか?


これについては、1939年から3年間林彪夫妻が病気療養の名目でソ連に在住しており、その際にモルヒネ漬けにしてソ連のスパイに仕立てたという説が。

※実際林彪はモルヒネ中毒であり、毛沢東もそれを知っていました。

 

その事実を知られたくないが故にソ連側は急いで遺体を確認・埋葬し墜落死の事実を公表しなかったというのですが、真相は如何に?


この事件に関しては、現在も存命している林立衡や林立果の婚約者、更には林彪のボディガードがそれぞれに事件に関して証言を行っていますが、食い違いがあって真相ははっきりしていません。

 

         

                    林立衡 

 

事件当時の毛沢東は78歳でかつ重病でしたから、彼より14歳年下の林彪は黙っていれば遠からず№1の座につけたはずなのに、なぜ焦ってクーデターを起こそうとしたのか?


JFK暗殺と林彪墜落死という東西2つの暗殺(?)事件の真相は、永遠に謎のままかもしれません。

ただ、『五七一工程紀要』に記されている、林彪の

「彼(毛沢東)は真のマルクス・レーニン主義者ではなく孔孟の道を行うものであり、マルクス・レーニン主義の衣を借りて秦の始皇帝の法を行う、中国史上最大の封建的暴君である」

 

「彼の社会主義とは実質的には社会ファシズムである。 彼らは中国の国家機構を一種の相互殺戮・相互軋轢の肉挽き機に変え、党と国家の政治生活を封建体制の独裁的家父長制生活に変えてしまった」

 

という毛沢東評は、的確に実態を捉えていると申せましょうか。


いずれにせよ、支那における権力闘争の闇は限りなく深いです。うー

 

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