因 縁 | ナベちゃんの徒然草

ナベちゃんの徒然草

還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

今からちょうど40年前の今日、東京の江東区森下の商店街で凄惨な悲劇が起きました。 

 深川通り魔殺人事件

実はこれ、私にとっては今でも忘れられない出来事なのです。

その理由のひとつは、事件の起きたのは私が就職した年で新人研修が終わって営業現場に配属された直後、しかも営業担当地域が事件現場に比較的近かったこと。

もうひとつは、その数年後担当した取引先に当該事件の現場指揮をした元刑事の方がおられ、生々しい裏話を聞いたから。

そして、3つ目の理由は・・・これは後述します。

犯人の川俣軍司は1952(昭和27)年の茨城県鹿島郡生まれ。

中学卒業後、集団就職で上京し寿司屋の見習いとして働くも同僚とうまく行かずすぐに辞め、その後寿司屋を転々とするも長続きせず。

20歳前に飲酒・暴行傷害事件を起こして2年間服役。


出所後もまた暴行・恐喝で10ヶ月の懲役、更にその後も誘拐と自動車の人身事故で2度服役し事件前年に出所していた、いわゆる〝札付きのワル〟。

出所後また寿司屋に就職するも態度の悪さと不気味な雰囲気からすぐクビになり、その後も面接で断られるなどした29歳の川俣は自暴自棄に。

そして事件当日の1981(昭和56)年6月17日、川俣は柳刃包丁を手に下半身裸のまま自宅を飛び出します。

同日午前11時半過ぎ、商店街でたまたま行き会った3歳と1歳の子供を連れた主婦3人を刺殺。

更に通りかかった大人3人に次々と斬りつけて1人を殺害すると、通行人の女性を中華料理店に引き込み、同店の従業員らを人質に立てこもりました。

従業員らは逃げられたものの、川俣は女性を連れて2階に籠城。

しかしその女性も隙を見て逃亡・・・結局同日午後7時頃に警察が突入し、犯人は逮捕されました。

当時は現在と違い犯人の顔などを隠すことはしなかったため、(自殺防止の)猿ぐつわを噛まされ(刑事が商店街から買ってきて履かせた)パンツ1枚で手錠をかけられた川俣の映像がニュースで流されたことも、印象深い出来事でした。

       

※余談ですが、『笑点』 大喜利レギュラーの三遊亭小遊三師匠が自らを犯罪人扱いをするネタ元は、師匠がこの犯人と顔が似ていたことからだそうな。

川俣はかねてより覚醒剤を常用しており、本人は否定していたものの尿検査で陽性反応が。

当時は覚醒剤乱用が社会問題化しており、この事件はその中毒患者が引き起こした象徴的な事件として注目されました。

公判では 「電波が酷くて・・・」 とか 「殺せという声が聞こえた」 等と証言。


1982年に東京地裁が出した判決でも心神耗弱状態だったことは認めたものの、刑事責任を問えるとして無期懲役の判決が。

さて冒頭、私がこの事件を忘れられないと申し上げた3つ目の理由ですが・・・それは、この事件の背景にゾッとする因縁があったから。

実は川俣の祖父はかつて刺殺されていたのですが、その犯人がこの通り魔事件で最初に犠牲になった主婦の祖父だったのです。

〝因果応報〟という言葉がありますが、私にはどうしても偶然とは思えません。

それから、もうひとつ。

彼が収監されてから既に40年近くが経過していますが、現行法上では無期懲役の懲役囚は収監後30年が経過すると仮釈放の審理が行われます。

その審理で仮釈放が認められれば、4人を殺した現在69歳の彼は娑婆に出られる、ということ。

もし釈放されたら、あなたの住む街で暮らすようになるかも・・・。うー

私はたとえ薬物中毒や精神異常者であっても、それを理由に量刑を軽減したり野に放つべきではないと思います。

被害者やその遺族にとって加害者の事情や精神状態がどうであろうと関係ありませんし、40年ムショ暮らしをしたからって更正したとは限りませんから。

 

こんな凶悪犯は自らの生命を以って贖罪すべきだし、そうでなければ仮釈放なしの終身刑に処すべき。

そうすることが再犯を確実に減らすことにもなりますから。

 

 

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