無差別空襲というと、私たち日本人は東京大空襲や広島・長崎の原爆投下を想起しますが、それは何も日本に限った事ではありません。
第二次世界大戦中、最大・最悪の空襲といわれた
ドレスデン爆撃
Bombing of Dresden
がイギリス・アメリカによって行われたのは、今から75年前の今日のことでした。
1945年に入ると、連合国軍はドイツへのソ連軍の進軍をいかにして援助するかを協議し、ソ連軍の前に立ちはだかるいくつかの都市の爆撃を決定。
そしてドイツ東部に位置するドレスデンの空爆なくして東部戦線の補給路を断つことは出来ないと判断しました。
それまでドレスデンには1944年10月と1945年1月に2回の空襲が行われましたが、そのいずれもが鉄道施設を狙ったもの。
しかしこの空襲は、地域を限定せず街全体を標的とした無差別爆撃でした。
2月13日夕方から翌日午前0時過ぎにかけて、イギリス軍のランカスター爆撃機769機とハビランド・モスキート9機が約1,500トンの爆弾と約1,200トンの焼夷弾を搭載し、2波に分かれて出撃。
ランカスター爆撃機
照明弾を投下してオペラ座やツヴィンガー宮殿、聖母教会など主要な建物に目標を定めさせて、低空から市街地に全爆弾を投下。
更に翌14日にはアメリカ空軍も474トンの爆弾と300トンの焼夷弾を投下、更に15日にも466トンの爆弾を投下しました。
この数度の爆弾投下は、空爆後に市民が片付けのために地上に出てきたところを狙ってのものだったとか。
ドレスデンにはさしたる軍事施設もなくドイツ軍も殆ど無防備状態だったため、連合軍はやりたい放題。
この数度の爆撃により、ドレスデンは街の85%が破壊され、多くの歴史的文化遺産が悉く焼失しました。
上の写真は市庁舎の時計塔から撮影された爆撃直後の街並みだそうですが、石造りの建物が一見残っているように見えます。
しかし実際はまず爆撃によってまず屋根を吹き飛ばし、その後から焼夷弾を落として木造の建物内部を焼き尽くすという周到な爆撃計画により、多くの市民やソ連の虐殺から逃れてきた難民たちが焼死。
その数は2万人とも3万人以上とも言われ、はっきりしていません。
爆撃後、さすがにイギリス国内からもやり過ぎとの批判の声が上がったとか。
軍事施設ではなく一般人を無差別に狙った爆撃ですから当然でしょうが、おそらくこれは1940~41年にかけてドイツ軍が行ったロンドン空爆に対する報復の意味合いが強かったのでしょう。
またこの空爆の戦果が、翌月10日や5月15日に行われた東京大空襲に活かされたことは容易に想像がつきます。
彼等連合軍は事後法によって敗戦国を戦勝国が裁くという国際法に明確に違反した裁判で、日本を弾劾しました。
しかしこれらの空爆や原爆投下で多くの非戦闘員を殺害した彼等連合国軍こそ、本当の戦犯ではないか・・・私にはそう思えてなりません。