合 同 | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

戦後長らく日本の政治を動かしてきた

 自由民主党

 

この保守政党が誕生したのは、今から65年前の今日のことでした。

 

終戦直後から、政界では左翼勢力が台頭。

新憲法下最初の総選挙だった1947年の第23回総選挙では社会党が比較第1党となり、片山哲書記長を首班とする民主党・国民協同党との連立内閣が発足。

その後同党は左右両派の対立によって1950年に分裂しますが、1955年10月に再統一。

一方の保守勢力も大物政治家が公職追放されるなどして混乱、分裂・対立が続いていましたが、社会党が統一し大きな左翼勢力としてまとまったことで危機感が高まります。

同じ危機感を持つ財界からの圧力もあり、それまで対立していた自由党と日本民主党が合同に合意。

1955(昭和30)年11月15日、
東京・神田の中央大学講堂に於いて結成大会が開かれ、衆議院298名・参議院115名からなる新政党が誕生しました。

 

    

※党名については公募され、党内外・全国から2,191通もの応募が集まりました。
 『日本保守党』が第1位、『民主自由党』と『保守党』が同数で2位でしたが、党内からは「日本保守党では選挙で不利」との意見が出て採用されず、党内論議の結果『自由民主党』に落ち着いたとか。


しかし急いで合併したこともあって党内はなかなかまとまらず、結党当初は総裁を置かず総裁代行委員を置き、鳩山一郎(首相で日本民主党総裁)、緒方竹虎(自由党総裁)、三木武吉(日本民主党総務会長)、大野伴睦(元衆議院議長)の4人が務め、鳩山氏が総裁選挙によって初代総裁に就任したのは、5ヶ月後の1956年4月になってから。

 

       

                  鳩山一郎氏


その後も党内対立は続き、三木武吉は「10年持てば」と言い、松村謙三は「30年後には崩壊する」と予想。

しかし好景気にも支えられ、自民党はその後も着実に勢力を伸ばし、所謂〝55年体制〟は1993年に新党ブームから細川内閣が誕生し自民党が野党になるまで長らく維持されることに。

その後政権交代などもありましたが、現在は安定政権を維持している自民党・・・問題は菅総理が安倍総理同様に長期政権を維持できるかどうか。

それにしても、初代総裁となった鳩山一郎氏・・・自分の孫が自ら作った自民党を飛び出して対立政党を作り、総理大臣となりながら何もせぬまま逃げ出したばかりか、政界引退後の今でも自民党の足を引っ張り続ける姿を、どんな思いであの世から眺めているのやら。

早く宇宙人を迎えに来て欲しい・・・そう願っているのは、私だけではありますまい。

 

 

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