親 分 | ナベちゃんの徒然草

ナベちゃんの徒然草

還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

なにやら不穏当なタイトルですが・・・今日は、〝球界の大親分〟ともいわれた

 

 大沢 啓二 さん

 

の命日・・・早いもので、没後10周年にあたります。

 

       ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-大沢 啓二

 

1932年に神奈川県藤沢市で生まれた大沢氏の少年時代は〝暴れん坊将軍〟そのもの。

 

暴力事件を起こして入学した工業高校を中退すると、兄が自ら通っていた高校入学を斡旋。

 

そこで野球を始めたものの、3年生の地区大会で微妙な判定を繰り返された挙句、延長戦の末押し出しサヨナラ負け。

 

試合後にたまたまトイレでその球審と鉢合わせした大沢青年は、なんと彼を蹴飛ばしてしまいます。驚き顔

 

おかげで母校は1年間出場停止を食うのですが・・・なんと蹴られた球審が大沢青年の自宅を訪れ、「キミのような元気な選手が欲しい」 と立教大学野球部にスカウトしたというんですから、世の中は分かりません。

 

長嶋選手の2年先輩として活躍した大沢選手は、1956年に南海ホークス入団。

 

現在では当たり前のことですが、打者によって大胆に守備位置を変えることを球界で初めて行ないました。

 

10年間の現役生活では目立った成績は残しませんでしたが、引退後ロッテの打撃コーチ・2軍監督を務める中、そのマネジメント手腕を評価されていきます。

 

ロッテの1軍監督を2年、間をおいて日本ハムの監督を11年務め、1981年には念願のリーグ優勝も果たしました。

 

通算戦績はイマイチでしたが、私の目には金田正一氏同様とにかくパ・リーグの人気を盛り上げようと努力した監督だったように見えました。

 

最も印象的だったコメントは、1982年。


当時西武ライオンズの監督に就任した広岡氏が玄米食を強制するなど選手達を徹底的に管理したことに反発した、

「草ばかり食って、ヤギさんじゃあるめぇし・・・。」

 

大いに笑わせてもらいましたが、これもファンの注目を集めたい一心から敢えて口にしたのだと思います。

 

また〝親分〟と呼ばれたのは、単にサングラスをかけた風貌がそれらしいだけでなく、その義理堅い人柄や面倒見の良さからつけられたものなのでしょう。

 

監督時代の退場回数が当時ダントツの1位だった大沢さん・・・まぁ、短気な人に悪人はいないっていいますしネ。あせあせ

 

以前レギュラー出演していた 『サンデーモーニング』 のスポーツ・コーナー。

 

        

 

名コンビだった張本勲さんは現在も引き続き出演しているものの、もう1人はプロ野球選手を含む元スポーツマンが週代わりで務めていますが、やはり 「喝~っ!」、「あっぱれ!」 などと一刀両断して貫禄十分だった大沢氏の姿を知る私は、どうしても物足りなさを感じてしまいます。

 

それだけ大沢氏の存在感は大きかった・・・ということでしょう。

 

2010(平成22)年10月7日、胆嚢がんにより78歳で天に召された〝球界のご意見番〟のご冥福を、あらためてお祈り致します。笑3

 

 

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