倍 速 | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

今や旅客機といえば、ジェットが当たり前。
 

プロペラ機を見かけるのは稀ですが・・・このジェット旅客機が初飛行に成功したのが、今からちょうど70年前の今日でした。 

開発・製造したのは、イギリスのデ・ハビランド社で、機種はその社名を冠した


 デ・ハビランド コメット

de Havilland DH.106 Comet

 

1930年代のイギリスは、大型飛行機で世界各地の植民地への空輸ルートの開拓を進めていました。

それが第二次世界大戦が勃発したことから、民間長距離航空路の開拓は一旦休止に。

 

しかし大戦中から、チャーチル政権は戦後を見越して大型旅客機の開発を指示。

そして同国初のジェット戦闘機の開発に成功した老舗航空機メーカーのデ・ハビランド社が、それをより大型化したジェット旅客機の開発を表明。

軍需省や英国海外航空(BOAC)から仮受注を受け、1946年9月から開発を始めました。

しかし開発には幾多の困難やトラブルが。

当初開発した無尾翼高速研究機(DH108)が試験飛行中に墜落し、操縦していた同社創業者サー・ジェフリー・デ・ハビランドの息子ハビランド・ジュニアが36歳の若さで死亡。

       

          Sir Geoffrey de Havilland (1882-1965)

 

この悲劇により一層開発に執念を燃やした父は、機体を堅実な緩後退翼タイプに変更し、独自に開発したジェットエンジンを主翼付け根に埋め込むことに。(↓)

    

そしてデ・ハビランド社長の誕生日であった、1949年7月27日・・・社長自らが操縦席に座った(※操縦はテスト・パイロットのジョン・カニンガム元空軍大佐)コメットの初号試作機が初飛行に成功したのです。

その後改良が重ねられ、初飛行から3年弱経った1952年5月には、初の商用飛行が英国海外航空に納入されたコメットMkⅠによって、ヒースロー~ヨハネスブルグ間で行われました。(↓)

 

     


所要時間はそれまでの半分だったそうですから、さぞ当時の人々は驚いたことでしょう。

これを見た各国航空会社はこぞってコメットの導入を進め、路線も拡大・・・しましたが、コトはそう簡単には進みませんでした。

就航から1年以内に離着陸時の事故で3機が失われたのです。

幸い人命を失うことはなかったのですが、1954年1月にイタリア近海を飛行中だった英国海外航空所有のコメットが墜落し、乗員乗客35名が死亡。

空中分解が事故原因とされ、英国海外航空は同機を一旦飛行停止に。

そして改良が加えられた後飛行が再開されましたが、3ヶ月後の同年4月に再びイタリア近海を飛行中だった南アフリカ航空のコメットが墜落し、乗客乗員21名が全員死亡。

墜落原因を徹底的に究明するため、コメット1機を巨大な水槽に沈めろて加圧するという大掛かりな実験を行った結果、主要因が金属疲労だったことが判明。

この調査結果により、それ以降に製造されたジェット旅客機は、窓などの開口部の角を丸くしたり、亀裂が生じてもその延伸を食い止めるフェイルセーフ構造が取り入れられるなど、期待改良に大きく貢献しました。

その後ボーイングやダグラスなど競合他社に押され、英国海外航空でも1960年代に運用が終わり、1964年に112機に達したところで生産中止となりました。

寿命は短かったものの、航空業界発展のために貢献した世界初のジェット旅客機の一風変わった名前、憶えてやってくださいまし。


 

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