赤 鬼 | ナベちゃんの徒然草

ナベちゃんの徒然草

還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

今日は桃の節句、ひな祭り。

 

女の子の成長を祝う愛らしい日・・・なのですが、今からちょうど150年前のこの日、江戸の真ん中では鮮血飛び散る惨劇が繰り広げられました。

 

皆さんも歴史の授業で聞き覚えがあることでしょう、『桜田門外の変』。


この幕末から明治維新にかけて国内で起こったテロ攻撃の先駆けとなったこの政変で命を狙われたのが、彦根藩第15代当主にして江戸幕府の大老、

 

 井伊 直弼

 

当然のことながら、今日は彼の命日・没後160周年にあたります。

       井伊直弼

 

1815(文化12)年に彦根藩第11代当主・井伊直中の十四男(!)として生まれた直弼は、非嫡出子でもあったため当初はお世継ぎになるはずもなく、国学を学んだり茶道・和歌・鼓など多種多芸を嗜む風流人だったそうで、渾名が 「チャカポン(茶・歌・鼓)」 だったとか。

 

ところが第14代当主であった兄が亡くなったため、1850(嘉永3)年に第15代当主の座に。 

 

突然為政者となった直弼でしたが、藩政改革を推進し名君といわれました。

 

やがて彼が中央政府・江戸幕府でも存在感を示すようになったのは、折りしもペリー来航で国内が大揺れの頃。

 

彼は積極的に開国を主張、やがて開国慎重派だった老中首座・阿部正弘の亡くなった翌年の1858(安政5)年、大老の座に就きます。

 

同年日米修好条約を締結したことに対し、尊皇攘夷派の水戸藩士らが朝廷を巻き込んで自らの排斥運動を行ったことに激怒、敵対する勢力を悉く追放・捕縛・処刑します。

 

これが世に言う、『安政の大獄』 ですネ。

 

そのあまりに過酷な粛清に、人々は彼を〝井伊の赤鬼〟と畏れたそうですが・・・季節外れの大雪が降りしきる1860(安政7)年3月3日早朝、江戸城に登城する直弼を乗せた籠行列を旧水戸藩士ら18名が急襲。

 


   左・青矢印が襲われた駕籠 その上が井伊家上屋敷 右上赤矢印が桜田門    

 

ピストルで狙撃され、会得していた居合いの技を封じられた直弼は駕籠から引きずり出され、首を刎ねられて44歳の生涯を閉じたのです。

 

 
                中央赤×が事件現場

 

この政変から彦根・水戸両藩の対立は長きに及び、お互いに親善都市として提携・和解したのは、何と110年後の1970年。

 

この時の彦根市長は、直弼の曾孫・井伊直愛氏でした。

 

実際は開国論者ではなかったとする説もありますが、彼を諸外国の植民地政策から日本を救った政治家と評価するか、あるいは安政の大獄によって吉田松陰・橋本佐内ら優秀な人材を葬った独裁者と断じるか・・・皆さんの判断はいかが?

高杉晋作橋本佐内に関する過去記事は、こちら。
 
https://ameblo.jp/warmheart2003/entry-12265145022.html

 https://ameblo.jp/warmheart2003/entry-12309671620.html

 

 

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