ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草

〝可憐な花々に囲まれた心温まるお葬式〟をモットーに、日々お客様のために頑張っております葬儀社ウォームハート・・・の社長、人呼んで「葬儀屋ナベちゃん」です。 毎日の仕事や、人・映画・書籍等との出会いの中で感じたことなどを徒然なるままに綴ってまいります。


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今日・4月14日は、明治維新直前の倒幕運動に大きな影響を及ぼした志士

 高杉 晋作

の命日・没後150周年にあたります。

 

彼は1839(天保10)年、長州藩士・高杉小忠太の長男(後は妹3人)として現在の山口県萩市に生まれました。


もともと高杉家のルーツは毛利元就の家臣だったそうですが、先祖も長州藩でも有能な家臣として名を残していたそうな。

そんな血を受け継ぐ晋作は13歳の時に藩校・明倫館に入学し、また柳生新陰流剣術も学び後に免許皆伝の腕前になった、まさに文武両道の人物。

そして1857(安政4)年にはあの吉田松陰が主宰する松下村塾に入塾し、〝松下村塾四天王〟の1人に数えられました。

 

翌年には藩命で江戸に遊学し昌平坂学問所などで学びますが、1859(安政6)年の 『安政の大獄』 で吉田松陰が捕えられたため、彼は獄中の師を見舞い世話をしました。

その後藩命で帰郷(※松陰は晋作が江戸を離れた10日後に斬首)し、美人で評判だった山口町奉行・井上平左衛門の次女・まさと結婚。

その後藩命により海軍修練のため長州藩所有の軍艦『丙辰丸』に乗船し江戸へ。 

更に北関東や信越地方を遊学したり佐久間象山らと面談、また1862(文久2)年には(ヨーロッパ使節団随行は取り消されたものの)幕府使節随行員として上海に渡り、清国が西欧の植民地化している実情を見たことが、後の彼の行動に大きな影響を及ぼしたといわれます。

 

帰国後、晋作は藩内に台頭していた尊王攘夷運動に加わり、江戸・京都で他藩の同志と接触。

外国公使襲撃を企てたり、更には井上聞多らと品川御殿山の英国公使館焼き討ちしたことで帰藩を命じられた晋作は、自ら10年間の隠遁生活を願い出て剃髪。

しかし、時代は彼をそのまま放ってはおきませんでした。

 

        

 

1863(文久3)年5月、関門海峡で外国船を砲撃したものの逆襲され惨敗(下関戦争)した長州藩は、晋作に下関の防衛を依頼。

彼は同年6月に藩主の了解を得て、身分不問の〝奇兵隊〟
(※正規兵の対語)を結成。


しかしその僅か3ヶ月後に奇兵隊士が撰鋒隊と衝突した 『教法寺事件』 の責任を取らされて罷免。

その後八月十八日の政変で長州藩を中心とした尊王攘夷派が京都から追放されたことを受け、彼は脱藩。

桂小五郎の説得で潜伏先の京都から戻ったものの脱藩の罪で投獄され、出獄後も謹慎処分に。

しかし1984(文久4)年8月、下関が米英仏蘭連合軍に砲撃・占拠されると、晋作は赦免されて和議交渉を託され、(その時通訳を務めた伊藤博文の回想によれば)彼らが要求した領土租借条件を取り下げさせることに成功したといいます。

もしここで租借を認めていたら、日本は植民地化への道を進んだかもしれません。

しかしその後長州征伐を目論む幕府に恭順止む無しとする〝俗論派〟が藩内で台頭したため、彼らの襲撃を恐れた晋作は九州に逃亡。

そして機を見て下関に戻った彼は、伊藤博文率いる力士隊らを率いて挙兵し、1865(元治2)年に俗論派を排斥して藩の実権を掌握。

ところが翌月、下関開港を勧めようとして今度は攘夷・俗論両派から命を狙われたため、愛人おうのと四国に逃亡。

またしても桂小五郎の取り成しで長州に戻ったものの、高杉家からは廃嫡となり、藩命により谷潜蔵と改名。

1866(慶応2)年1月に薩長同盟が結ばれると、6月の第二次長州征伐では海軍総督として戦闘指揮を執り、幕府艦隊を夜襲により撃退。

やがて戦局は幕府不利に傾き、これが後の大政奉還へと繋がりました。

しかし倒幕の立役者であった彼の身体は肺結核に侵され、療養の甲斐なく

〝おもしろき こともなき世に(を) おもしろく〟

という辞世の句を残し、1867(慶応4)年4月14日、まだ27歳の若さで他界・・・残念ながら明治維新の日本をその目で確かめることは出来ませんでした。

波乱万丈という言葉がぴったりの彼の人生について詳しく知りたい方には、この書籍をお勧めします。

 『情熱と挑戦の生涯 高杉晋作』 (角川学芸出版・刊)


        

晋作に関しては司馬遼太郎氏や山岡荘八氏による長編小説がありますが、これは彼の故郷・萩市の特別学芸員で萩博物館・高杉晋作資料室長を務める一坂太郎氏が歴史的資料を精査して書き上げたノンフィクション。

晋作の行動や思想が虚飾なしに浮かび上がってくる労作です。

彼は自身の行動を〝狂挙〟と言っていたそうですが、それは今振り返れば快挙だったのか、暴挙だったのか、それともその通りだったのか?

彼の生涯や残された親族のその後の運命を辿ると、その答えを出すのは簡単ではありません。

同書を再びめくりながら、伊藤博文をして

 

「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し、衆目駭然、敢て正視する者なし」

 

と言わしめた、幕末を疾風怒濤の勢いで駆け抜けた志士の冥福をお祈り致します。笑3

 

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