反 故 | ナベちゃんの徒然草

ナベちゃんの徒然草

還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

今日は、クイズからスタートです。

【アメリカが初めて戦争をしたアジアの国は、どこ?】

「日本」と答える方もいらっしゃるでしょうが、これは不正解。

正解は、フィリピンなんです。 その


 米比戦争

が開戦したのが、今からち121年前の今日・1899年2月4日のことでした。

 

1529年以来スペインの植民地だったフィリビンでは、1896年から独立のための戦闘が繰り広げられていました。

一方、1898年4月からアメリカとスペインがキューバの支配権を巡って米西戦争が勃発。

その一環として同年5月1日にフィリビン・マニラ湾開戦が行われ、アメリカが勝利しました。


勢いに乗ったアメリカはフィリビン独立運動の指導者エミリオ・アギナルドに対し、スペインに勝利すれば独立を認めると約束して彼らにスペイン軍を背後から襲わせます。

 

       

そして7~8月にかけて行われたマニラの戦いでスペイン軍を撃破したアメリカは米西戦争に勝利し、12月のパリ条約でスペインから2,000万ドルでフィリピンを購入。

つまり支配者がスペインからアメリカに変わっただけ。

翌1899年1月1日にアギナルドが初代大統領に就任し、同月21日にフィリピン第一共和国が建国されたものの、アメリカとは緊張関係に。

そして翌2月4日・・・現在のマニラ市内のソシエゴ通りで、フィリピン兵2名が支配地域内に立ち入ったとしてアメリカ軍に射殺される事件が起こります。

この衝突を受け、アギナルドは軍司令官や各都市の首長に国土防衛命令の電報を打ちましたが、いかんせん多勢に無勢。

 

人員・物資共に圧倒的なアメリカ軍は大攻勢をかけ、2月中にマニラを、そして3月には共和国の主都だったマロロスを制圧します。

そして8月に入り、アメリカはフィリピン占領のために11,000人の地上部隊を増強しましたが、この時に駐留米軍司令官に着任したのが、1885年にインディアン戦争に参加してジェロニモ以下先住民族を殲滅し、マニラ戦争後に少将に昇進したアーサー・マッカーサー・ジュニアArthur MacArthur, Jr.1845-1912)。

       

 

ご存知、戦後GHQ司令長官になったマッカーサー元帥の父親です。

 

彼(の部下)はゲリラ戦でしぶとく抵抗するフィリピン軍に対し、

「10歳以上は皆殺しにせよ」

という命令を出し、各地で残虐な殺戮が行われました。

 

当時ニューヨーク・ジャーナル紙に掲載された風刺画には、その文言が描かれています。

    

 

この戦争は(公式には)1902年7月にセオドア・ルーズベルトが声明を出すまで続きましたが、その間約60万人(20~150万人など複数説あり)のフィリピン人が殺戮されたといいます。

※この戦争に際し、アギナルドは武器支援を求め、使者を日本に送っています。
その要請を受け、日本軍は既に使用しなくなった旧式の武器を提供し、三井物産から購入した老朽船・布引丸に乗せ7月に長崎港を出港したものの、途中暴風雨に遭って沈没・・・日本製の武器がフィリピンに届くことはありませんでした。

その後も 『モロの反乱』 など内戦が続き、アメリカが当初の約束通りフィリピンの独立を承認したのは、第二次世界大戦後の1946年・・・つまり約50年近く後のことでした。

今まで幾度となく拙ブログで申し上げていますが、たとえ現在は同盟国であるアメリカも、いつ掌を返すのか分からない・・・これが国際社会の常識だと心得なければなりません。

昨日の敵は今日の友、今日の友は明日の敵ですから。
うー

 

 

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