今日は、クイズからスタートです。
【実業家として、初めて文化勲章を受章したのは誰?】
多くの方がご存知な有名人なのですが・・・その答えは、
いぶか まさる
井 深 大 氏
今日は、この日本が誇るグローバル企業・ソニー創業者の命日・二十三回忌にあたります。
1908(明治41)年に現在の栃木県日光市に生まれた井深氏は、2歳の時に技師だった父親が亡くなったことで、少年時代は祖父の実家や再婚した母に嫁ぎ先など、住まいを転々とします。
早稲田大学理工学部在学中から奇抜な発明で有名だったという井深氏は、卒業後写真科学研究所に入社・・・同社在籍時に、学生時代に発明した〝走るネオン〟をパリ万博に出品し、金賞を獲得しています。
早大時代の井深氏
その後日本光音工業(株)に移籍、同社の出資で日本測定器(株)を立ち上げ常務に就任しましたが、この頃に後の盟友・盛田昭夫氏と知り合います。
そして終戦直後の1945年10月、東京・日本橋に 『東京通信工業』 を創立。
これを新聞記事で知った盛田氏が合流し、井深氏の義父が社長・井深専務(技術担当)・盛田常務(営業担当)、他社員20名でスタート。
※盛田氏に関する過去記事は、こちら。(↓)
同社が、テープレコーダーやトランジスタラジオの発売で急成長を遂げ、1958年に改称した 『ソニー』 の前身であることは、皆さんもご承知の通り。
トリニトロンテレビやベータマックスなど独創的かつ新しい技術開発を手がけることで同社を世界的企業に育てあげました。
トリニトロンでエミー賞を受賞(1973年)
エンジニアとしても勿論ですが、私が尊敬するのは教育者としての井深氏。
実は井深氏のご長女が知的障害者であり、彼女の世話に多大な労力をかけたことも、教育に人一倍関心を向けた一因だったのかも。
1969年に 『幼児開発協会』 を設立し理事長に就任。
更に1972年には 『ソニー教育振興財団』 をも設立。
『幼稚園では遅すぎる』 (サンマーク出版・刊)などの著書も上梓し、母親による幼児・胎児教育・・・それも知識ではなく情操・心の教育の重要性を説きました。
その根底には、早くに父を亡くした実体験と女手一つで育ててくれた母親に対する感謝の気持ちがあったのかもしれません。
〝人づくりは国づくり〟・・・まさにその格言を実践した実業家だったといえましょう。
1992年に文化勲章を授与された際、その理由に〝高潔な人柄〟と記されたことは、最大限の賛辞ではなかったでしょうか。
1997(平成9)年12月19日、89歳で天に召された井深氏の墓石には、名前の横に〝自由闊達〟と彫られているとか。
これは東京通信工業の設立趣意書にある〝自由闊達にして愉快なる理想工場の建設〟から取られたといいます。
現在のソニーには、この設立趣意を知っている従業員さんがどれくらいいるんでしょうネ?
類稀なる実業家・エンジニア・教育者にして人格者でもあった井深氏のご冥福を、あらためてお祈り致します。
井深大 私の履歴書 (日経ビジネス人文庫・刊)