残念ながら、国内外を問わず複数のプロスポーツにおいて過去に八百長事件・疑惑が発覚してきました。
野球の場合アメリカのメジャーリーグでは1919年に〝ブラックソックス事件〟という八百長事件がワールドシリーズで起きたり、その後〝ピート・ローズ事件〟も。
アジアでは韓国や台湾でも八百長事件や疑惑が取沙汰されました。
そして日本国内では、国会でも取り上げられるほど大きな社会問題となったのが、いわゆる
黒い霧事件
この西鉄ライオンズを中心に球界、更にはオートレースにまで広がった大スキャンダルで球界初の永久追放処分が下されたのは、今からちょうど50年前の今日でした。
※〝黒い霧〟は、1960年に発表された松本清張の作品 『日本の黒い霧』 に由来して名付けられたとか。
1969(昭和44)年のペナントレース中、西鉄ライオンズ担当の報知新聞記者が同球団の外国人選手から 「わざとエラーをする選手がいる」 という話を聞きつけ、読売新聞の社会部と合同で調査を開始。
それ以前に八百長行為の事実を掴んでいた球団は、八百長に関わったのが永易将之投手であることを特定。
彼をシーズン終盤に解雇しましたが、同年10月8日に 「解雇は八百長が原因」 と報知・読売両紙がすっぱ抜いたことで、この事件が表沙汰に。(↓)
そして50年前の今日・1969年11月28日、プロ野球機構・コミッショナー委員会は、永易投手を永久追放処分に。
(上掲の報知新聞は10月8日付ですが、決定する1ヶ月以上前に永久追放と見出しにしています。 どうして断言できたのか、不思議。)
・・・しかし、コトはこれで収まりませんでした。
球界を追われた永易投手は球団や中西監督を脅迫したばかりか、翌年4月に雑誌のインタビューで 「他にもやった選手がいる」 と言明。
更に国会内で記者会見して6人の選手名を公表し、球団が口止め料を支払ったことまで暴露。
中央・マイク前に座っているのが永易元投手
その後オートレースの八百長事件にまで疑惑は波及し、結局永易投手を含め西鉄・中日・東映の選手6名が永久追放処分を下され、その他出場停止・戒告を受ける選手が続出。
オートレース選手19名も警察に逮捕されました。
あの江夏投手や、皮肉にもこの騒動をスクープした読売グループの巨人・藤田元司投手まで処分の対象となり、沈静化するまで2年近くを要する一大騒動に。
主力選手を失った西鉄は低迷を続け1972年に太平洋クラブに身売りする羽目になるなど、球界に大打撃を与えました。
中には永久追放処分を受けた後裁判で無罪を勝ち取り、現役復帰したオートレース選手もいましたが、私が残念に思うのはやはり永久追放された西鉄・池永正明投手のこと。
下関商業のエースとして3期連続甲子園に出場し、優勝・準優勝投手となった彼は1965年に鳴り物入りで西鉄に入団。
ルーキーでいきなり20勝を上げ、稲尾投手の後継者として早くも同球団のエースになると、1967年には23勝で最多勝。
入団5年で99勝をマークした将来の大投手でした。
同期入団した甲子園の優勝投手・尾崎将司投手が、キャンプのブルペンで彼のピッチングを見て 「こんな凄いヤツが一緒ではかなわん。」 とゴルフ界に転身したことからも、その才能の凄さが分かります。
その大器の未来を潰したのが、この事件。
先輩選手からの八百長話を断ったものの、「預かってくれ」 と言われた100万円をただ押し入れにしまったままにしていただけで永久追放。
他選手からの嘆願も通じず、当時から見せしめといわれた理不尽な処分で200勝・・・いや、300勝すら可能だった投手の未来を奪ったのですから。
ジャンボ尾崎選手や関係者の尽力により、池永氏の名誉回復・追放処分解除がなされたのは、事件から35年も経った2005年のこと。
社会人野球の監督就任など、自ら天職と語った野球にやっと関われるようになったことが、せめてもの救いでしょうか・・・。
一方、事件の中心人物だった永易投手は、2003年にひっそりと病死したことが週刊誌で報じられました。
少年たちの夢を壊し歴史に汚点を残す八百長・不正行為は、二度と起こして欲しくはありません。